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悲しくなんて、なかったよ






























鳥の風
































一時部屋に戻り、身だしなみを整え、必要なものを所持して部屋を出た。
「1人ではいけない」というなんとも情けない宣言のため、夢の間まではシリル、アロイス、ラナの3人で向かった。
そして、シリルが予想していたように、部屋の前に着いた途端、アロイスとラナは行ってしまった。
分ってはいても、なんだかな、という気持ちは拭えなかった。
別にいいのだけれど。
仕事だし、分ってたことだし、命令だし。
まるで昨日と同じようにここへきて、同じように扉を開けた。

廊下との光の差に一瞬目がくらむ。
すぐに目が慣れ、広がるのは夢のような美しい花畑。
柔らかい緑の絨毯の上に咲き乱れる美しい色とりどりの花々。
緩やかな、風が頬を撫でる。
知らなければ、決してここが室内だとはわからないだろう。
天国だと思う人もいるかもしれない。
それほどまでに現実から離れた空間。
そんな部屋の真ん中にふわりと優しく揺れる白。
彼女は今日もそこにいた。
異常と言っても過言ではないこの部屋で、全く浮いていない。
溶け込んでいる。
この部屋で異分子と言えば間違いなく自分だろうことはまず間違いはなかった。
「おはようございます」
振り返ってほほ笑む彼女、ロゼの花嫁。
「おはようございます」
笑顔であいさつを交わして歩み寄る。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ。同僚に叩き起こされるまで熟睡してました」
「それはよかった」
花嫁は微笑んだ。
「お早いんですね。俺は朝起きられないんですよ、布団が気持よくて」
花嫁は隣へ座るように促した。
それに会釈で答えて花嫁の隣に腰を下ろす。
「そう、ですね。夜は早くに寝てしまいますし、寝起きも悪い方ではないと思います」
「羨ましいです」
くすりと花嫁は微笑んだ。
透き通った笑顔。
水面で言うなら、水底まで見通せるような、薄氷のような、危なくはかなげなものに思えた。
何故?
気にはなったが、本人に聞いて分かるものでもない。
疑問は心に止めつつ、話を変えた。
「先日の伝言はラナに伝えました」
花嫁はぱっと顔をあげた。
「今朝方浮雲の間で事故があったそうですが、けが人は誰一人でなかったそうです」
そう聞くと、ほっと肩をおろした。
「そうですか…。よかった」
その様子に、ふと湧いた疑問をぶつけてみた。
「ロゼの花嫁は、聖書には過去も未来も今も全てを見通すことができるとあります。俺もそう教わりました。今朝の事故を予測していたのでしたら、彼女の安否もわかるのでは?」
全てを見通す力を持つ花嫁。
現在は千里眼。
どんな場所であっても、どんな人であっても、全てをありのままに映しだすと言われている。
「見ようと思えば見えるのですが、あまり使わないように釘をさされているんです。お願いした伝言も、実は後で見つかって叱られちゃいました」
肩をすくめて小さく笑う。
そっと傍らに咲く白い花を手にとった。
花の下に指を入れ、花を自分の方へ向けた。
ゆらゆらと揺らして、その感触を確かめているように。
「花嫁にも禁止されていることがあるんですか?」
「ありますよ。代々言い伝えられていることなので、花嫁以外は知らないと思います。禁止されているからと言って、破っても誰かから罰せられるということではないのですけれどね」
「その禁止されている事項ってお聞きできますか?」
「…きっと、聞かない方がいいと思います」
指で遊んでいた花を摘み取った。
すごくすごく、悲しそうな、そんな瞳で。
何故そんな顔をするのだろう。
どうして彼女はこんな顔しかしないのだろ。
本当は『聞かない方がいい』と言われようと、言えないこと以外なら何でも聞かなければいけない立場なのだが、シリルは花嫁に問いを投げかけることができなかった。
鼻の前へ持ってきて匂いを嗅いでいる。
少し離して、ゆっくり眺め、視線をシリルへ向けた。
「軍人さんにも決まりごとってあるんですか?」
「そりゃあ、ありますよ。覚えきれないほど。実際、頭では覚えられない奴ばっかりだから、体で覚えさせられるんです」
「身体で?体は覚えられるんですか?」
本当にわからないと言うように聞いてくる。
知らないことを聞くのがうれしいのか、瞳が輝いている。
ここから出たことが無いというなら、何かを体や感覚だけで覚えるという経験はきっと少ないだろう。
無理もない。
「この規則を破ったら腕立て50回とか、これが出来なかったら腹筋100回とか。体でって言うより、罰則への恐怖ですかね」
「腕立ても腹筋も大変なものなのですか?」
彼女の言葉には流石に驚いた。
そうか、腕立ても腹筋も知らないのか…。
アレに関してはあまり知らなくていいかもしれないが。
「特定の部分にだけ負担をかけますからね。筋力のトレーニングの一種ですから、楽なものではありませんよ」
そうなんですか、と嬉しそうに笑う彼女。
こうしてみると、町中を歩く女の子たちとあまり変わらないように思える。
ニコニコ笑って、楽しそうに話して。
こんな妙な部屋にずっといる、絶対的な信仰の象徴にはとても思えない。
それにはシリルが信者ではないから、というのも大きく関わっているのだろうけれど。
「それはあなたもできるのですか?」
「まぁ、それなりには」
普通ならつまらない話題のはずの罰則筋トレ。
なのに彼女は興味津々で、眼もキラキラしている。
「…やってみましょうか?」
「本当に?是非」
そんなに期待に満ちた視線を送られても、所詮やってみせるのは腕立て。
なんだかかっこうはつかないな、と思う。
こんな現実離れした空間で、男1人が少女の前で腕立て伏せなど。
両手をついて、両足をそろえて後ろへ伸ばす。
地面についているのは両掌と両足のつま先のみ。
そのまま腕を曲げて、また伸ばす。
50回単位で言いつけられなければ、それほど苦痛ではなくなるまでにシリルは成長していた。
もちろん、罰則のおかげでなのだが。
今では罰則で筋トレなどまったくない。
筋トレなどでは済まないのだ。
あのころは教官が鬼のように思えたが、今ではそうでもなかったように思う。
多少理不尽なことは言われたりもしたし、気に喰わない教官もいたが、今ではいい思い出だ。
何回か腕立てをして見せて、両ひざをついた。
そして腰を下ろす。
「動きとしては単純なんですね」
「そうですね。難しい動きではないです」
「私にもできますか?」
「…………はい?」
シリルは目の前の少女が何を言っているのか一瞬理解できなかった。
今彼女は何と言った?
「ええと、こうして…」
呆けている間に、花嫁は両手を地面についていた。
そこではっと我に返る。
「ちょ…!待った!ストップ!!そんなことされたら俺が全国民から袋にあっちゃいますから!!」
とりあえず、パートナーは記念すべき第1号の拳を振るってくれそうだ。
慌てて止めるも花嫁は「大丈夫ですよ」と笑うばかり。
全くその動きを止める様子はない。
膝をあげて、一歩ずつ足を後ろへ伸ばしていく。
無理やり止めようと思えば、それは造作もないこと。
抱え上げてしまえばいいのだから。
だけど、そのために花嫁に触れ、あまつさえ抱えたなんて他の誰か1人にでも知られれば大事だ。
しかし、シリルはそれを止めることは出来なかった。
目の前の少女は一生懸命に、とても楽しそうだったから。
今この少女は、『ロゼの花嫁』なんかではなく、ごく普通の、年相応の少女に見えたから。
軽く神経を研ぎ澄まして、周囲の気配を探る。
この部屋の中にはもちろんシリルと花嫁しかいない。
扉の外には…、1人。
しかし、コイツは大したレベルじゃない。
一般兵以下、おそらく神官の誰かだろう。
ならば、ロゼの花嫁のいるこの部屋へ無断で入室するような真似はしないだろう。
昨日がそうだったように。
だったら、花嫁が怪我をしないように注意してさえいれば問題はないだろう。
小さくため息をつきつつ、苦笑した。
それはこんな判断をした自分へのもか、こんなにも一生懸命な花嫁にたいしてかはわからなかった。
「…そう、そのままひじを曲げ伸ばしするんです」
もうすっかりその体制になっていた花嫁に声をかけた。
「とても…、大変なんですね…っ」
声が震えていた。
見ると、既に腕もふるふると揺れている。
それでもゆっくり曲げた。
が、それ以上動かない。
身体が持ち上がらない。
「んー…!」
しばらくその体制で踏ん張ってみるも、とうとうぺちゃりとその場に潰れた。
苦笑したその笑顔は、とても可愛らしかった。
「初めての人にはキツイかもしれませんね」
そいう言って、シリルは両手を地面についた。
「だから、初心者はこうして膝をついたままやるんです。腕の負担が減りますから、随分楽になりますよ」
その言葉に、花嫁は立ち上がって、もう一度腕立て伏せの体制をとった。
今度は言われたように膝をついて。
そしてさっきのように曲げ伸ばす。
「本当。とっても楽です」
「慣れてきたら、膝をどんどん後ろへ引いて行くんです」
その言葉に従って、少しずつ後ろへ膝をずらしていく。
在る場所へいくと、辛いのか、もう後ろへ足をひくことはなくなった。
それから数回やって、花嫁はごろりと寝転がった。
「疲れたぁ…」
その顔はニコニコと楽しそうだった。
「でも、楽しかったです」
「腕立てが楽しいと言えるなんて大物ですよ」
「軍人さんになれますかね?」
「かもしれませんね。女性兵士もいますし」
人工的な風がふわりと吹き抜ける。
空気の波は髪も服も花も草も揺らして、消えた。
「そういえば」
話を切り出したのはシリルだった。
「ラナから聞いたのですが、お名前はニーナというのですか?」
花嫁はちょっと驚いた顔をして、ふわりとほほ笑んだ。
「はい。ニーナ・スリレイアが本名です」
そして、くすりと笑った。
「名前を呼ばれるなんて本当に久し振りで。驚きました」
「ご無礼でしたら謝罪します」
深々と頭を下げるシリルを、花嫁は止めた。
「無礼とか、そういうのではないのです。皆は私を『花嫁様』と呼ぶので…。名を呼んでくれたのはラナと家族だけだったから。ちょっと嬉しかったです。『私はニーナなんだ』って、久しぶりに思えたから。『花嫁』以外で私を見てくれたのかなって思えたから」
花嫁は続けた。
「名前って、一人一人にちゃんとあるでしょう?みんな違って、それぞれに違う人なんだって思います。私はずっとここにいて、『花嫁様』って呼ばれていましたから。『人』ではなく『花嫁』なんだなって、時々神官や民のように人間であることも忘れそうになるんです。聖典にあるように、母から生まれたのではなく、月から降りてきたのではないかって」
ちょっとだけ悲しそうに笑った。
「そんなことないって、わかっているはずなんですけどね」
その笑顔が、本当に消えそうで、儚いものに思えた。
名前…。
名前で呼ばれるなんて、そんなことすらあたりまえでなくて、呼んでもらえるだけで嬉しくなることだったなんて。
本当に、彼女の生活は想像を絶している。
この箱庭で、ずっと鳥のように大人しくしているだけ。
シリルは腰にぶら下げた無線機を取り出した。
花嫁は興味津々で覗きこんでくる。
「無線です。これで俺の相棒を呼びます」
電源を入れて、アロイスの応答を待つ。
すぐに相棒の声が聞こえてきた。
「あ、先輩ですか?」
『あぁ。どうした?』
「あ、別に緊急事態とか、そういうわけじゃないんです」
『…いたずらだったら後で殴る』
「そんなんじゃないですよ。実はちょとお願いがありまして…」
端的に用件を伝える。
無線の向こうからは抗議の声も聞こえてくるが、頭ごなしに否定して却下するようなことはアロイスはしない。
後でさんざん問い詰められるだろうが、とりあえず願いは聞いてくれるだろう。
無線を切って、再び腰へ戻した。
それは構わない。
自分で決めたことだし、自分がやろうと思ったことに対してだし、それに協力してもらった、ましてアロイスには話さなければならないとおもうから。
大したことは出来ないけれど、きっと彼女は喜んでくれると思う。
籠の中から出してあげることはできないけれど、それでもやっぱり笑っててほしいから。

人はやっぱり、笑顔がいいと思うから。














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