[PR] 二重瞼






はじめて聞いた
あなたの、声






























白い檻
































ラナに連れられて、たどり着いたのは外へと通じる扉の前。
その扉もシンプルながらも美しい彫り物が施されている。
聖典『ラグーン』に疎いシリルでもわかる。
これが宗教に関連したものだということは。
彫刻の多くは宗教に関わっているので、さして珍しいことでもないし、『ロゼの花嫁』がいる場所となると、立派な宗教関連施設。
政治にも関わるかもしれないが。
そういうところで宗教の彫刻をしなければ、いったいどこにするのだという気もする。
「花嫁様は只今お庭に出ておられます。このお庭に花嫁さまはいらっしゃいます」
つまり、アロイスとラナとはここでお別れで、ここからは別行動になる。
「無線は持ってるな?」
「はい」
「部屋の鍵、なくすなよ」
「わかってますって」
「くれぐれも問題起こすなよ」
「信用ないなぁ」
当たり前だというアロイスに苦笑した。
今までのことを考えたら、まぁ、そうかもしれないが。
じゃあ、と短い別れを告げ、アロイスは神官と共に立ち去った。
きっとこれからぐるぐるこのでかい建物内を回るのだろう。
楽しそうだなと思う反面、これから自分もそれを把握しなければならないと思うと少しげんなりする。
2人の姿が見えなくなり、響く足音も遠くなっていく。
シリルは少しだけ気合を入れてドアノブに手をかけた。
その扉は押し戸で、ドアも重いものではないのですんなり開いた。
まぁ、鍵がかかっているとは思わなかったが。
扉を開けて、シリルは思わず息をのんだ。
目の前に広がる光景に。
一面に広がる緑色の絨毯のごとき草。
咲き誇る花の数々。
今の季節、花を開かせる種類はそう多くない。
シリルでも知っているような、春に花を咲かせるようなものが咲いている。
よく見れば今日は朝から雨が降っていたはずなのに、雨が降っていないどころか明るいじゃないか。
どうなっているんだ?
そんな幻想的で不思議な空間の中に、現実と思えないような世界に、佇む1人の少女がいた。
しゃがんで花を手にする。
手に取った花を摘んで、顔の前まで持ち上げて、香りをかいで。
昔に読んだ物語のお姫様のようなしぐさ。
嫌みでもなく、似合わないわけでもなく。
むしろ馴染んでいて、それが当然のようで。



ただ、きれいだと思った。

単純に。

それしか思えなかった。



不意に少女がこちらに振り返った。
花を両手でもったまま、首だけを回すように。
少女はシリルがいたことに気付いていたのか、まるで驚いた様子はなかった。
気配を消していたつもりはないから、感がいい人はわかるのかもしれない。
しかし、ここに繋がっていたドアの金具が軋んだわけもなく、シリルが音をたてたわけでもないのに。
ドアから10mほど離れた場所にいる少女。
優秀な軍人でもわからないものは少なくないだろうに。
大したものだ。
「今日いらした方ですよね。どうぞこちらへ」
少女は立ち上がって微笑んだ。
いかに護衛といえど、許可なくこれ以上先へ進むことはできない。
指示を受け、シリルは歩みを進めた。
足の下に受ける感触。
土と、草の柔らかさ、匂い。
これはどうやら偽物ではないらしい。
花嫁の数歩前で歩みを止め、跪いた。
目の前にいるのは、全国民、そして王族も進行するライゼ教の信仰の化身。
シリルにとってはたいしたことはなくても、そう思っていない人が大勢いる。
その能力があるかないかはまだわからないが、少なくともこの国を動かす力を、彼女は十分にもっている。
宗教とはそういうものだ。
初対面にほとんど近いし、ついでにアロイスに釘も刺されている。
妙に無礼なまねはできない。
「顔を上げてください」
従い、顔を上げて花嫁を見る。
さっきの挨拶の時はほとんど盗み見状態で、大雑把にしか見られなかった。
背中の中ほどまで流れる黒髪がつややかに流れる。
髪の毛事態も細そうだ。
鼻筋はすっと通っていて、唇は薄くもなく厚くもなく。
見上げる瞳は、やはりオッド・アイ。
黒と、紅の瞳。
しかし、大きくパッチリとしていて、ずいぶん整った顔立ちだとわかった。
やはり幼そうに見える。
童顔なだけなのかもしれないが。
「私がいたこと、お気づきでしたか」
「いいえ」
彼女は即答した。
「知っていただけですよ」
『知っていただけ』…。
本当にあの能力を持っているというのだろうか。
信者ならともかく、シリルにはにわかには信じられなかった。
「もうお1人の方は?」
「只今城内を案内していただいております」
花嫁はシリルから目線をはずし、それは宙の一点を密見ていた。
「…そのようですね」
見ているのだろうか?
ロゼから愛された、花嫁にだけ許された力で。
「あの」
シリルは口を開いた。
「何でしょう」
「あなたは『ラグーン』にあるような力をお持ちなのですか?」
失礼は重々承知の上だ。
内心でアロイスに謝った。
すいません、俺はやっぱり何かやらかす星の下に生まれたみたいです。
「あなたは信者の方ではないのですね」
「あー…、はい」
信者なら1も2もなく信じるだろう。
こんな質問なんてしないはずだ。
やっぱり気分を害させたかと思ったが、花嫁は何ともないといった風だ。
「本当ですよ。何でも見えます。本当に、何でも」
その瞬間、ほんの一瞬だけ顔に暗い影が射したのを、シリルは見逃さなかった。
何でそんな顔をするんだろう。
「私個人のものなので、残念ながらお見せすることはできませんが」
「いえ。礼を失した問、お許しください」
小さく頭を下げる。
この状態では曲げられる首の角度は決まってしまっているのだ。
「いいえ。これからずっと私の警護に就いていただくのです。何かあればお聞きください。できる範囲ではありますが、お答えいたします」
言葉自体は丁寧だし、物腰も柔らか。
見た目通りの年齢だとしたら、ずいぶん大人びている。
自分よりよっぽどしっかりしている。
でも、この少女は何か引っかかる。
わからないが、何となく引っかかる。
人間観察が得意というだけの感なのだが。
気にはなったが、さすがにその疑問を直接本人にぶつけるわけにはいかない。
普通の友達や上司であっても、ましてロゼの花嫁になど。
「ずっとそのままでもお辛いでしょう。どうぞ楽に」
確かに、実は足が痺れ始めていた。
アロイスがいたら張り倒されそうだが、いざという時に動けなかったらまるで意味がない。
ここはお言葉に甘えさせてもらおう。
シリルは立ち上がった。
椅子もないし、ならば立っている姿勢が一番楽だ。
シリルが立ち上がると、少女の頭はシリルの視線の下。
やはり身長の読みは正しかったようだ。
「美しい花畑ですね。普段はここにおられるのですか?」
「そう…、ですね。1日で一番多く時を過ごしている場所かもしれません」
ためしにしてみた質問だが、何ということもなく答えてくれた。
何でも聞いていいというのは本当なのかもしれないな、とシリルは思った。
本人の情報を聞きだすのは、項目を本人に直接突き付けるのではなく、何気ない会話の中から聞き出す方がいい。
その方が相手の緊張も解け、親密にもなれる。
答えづらいものもぽろっと話してくれる場合も少なくないのだ。
それができるとなれば話が早い。
こういう人と話す事はシリルの得意分野。
アロイスも不得意というわけではないが、シリルからみれば随分堅苦しいのだ。
見ているこっちが肩がこる。
「それにしても、随分大きな庭ですね」
「えぇ、私もそう思います。最近ではあまり散歩もできないので…」
外へ出られないということは、禁止されているか、窓が開かない、もしくは小さいということだ。
「このお庭には扉が1つしかないので、いつもここまで歩いてくるのですよ」
「そうなんですか。確かに少し遠いですよね、あの部屋からここまでは」
微笑みながら相づちを打ちながらも、頭の中ではどんどんこの庭・花嫁の言葉を整理していく。
確かに、シリルが入って来た扉以外に目立った入口は無い。
しかし、本当に扉が1つしかないというのなら、ここはあまりいい場所とは言えない。
もし誰かが忍び込んだ場合、逃げ道は侵入者の後ろのみ。
脱出は難しくなるからだ。
多いからと言ってそれがいいというわけではないが、最低2つはないとまずい。
どこかに隠し扉があるというなら話は別だが、今のシリルにそれを調べることはできない。
後でアロイスに聞かないと。
…ん?
ちょっと待てよ。
散歩ができないのでここにいるっておかしくないだろうか。
ここは庭だろう?
「ここは不思議な場所ですね。これなんて春の花ですよね。今はあんまり見かけない」
シリルはしゃがんで、1つの花を手に取った。
白いレースを丸めたような花がいくつも付いている。
この国では一般によく知られている『ラティナ』という花だ。
「よくご存知ですね。ここは庭ではないんですよ」
花嫁は上を見上げた。
「ここはどんなときにも雨は降りません。寒くもならないし、暑くもならない」
花嫁はシリルを見つめた。
「どうしてだかわかりますか?」
「………」
少し考えればわかる。
なぜ自然な節理がないのか。
ここが自然ではないからだ。
「ここは部屋の中なんです。この銀の館の数ある部屋の1つなんですよ。だから雨も降らないし、温度もかわらない。いつだって」
花嫁は再び上を見上げた。
「電気の光とはまた違った風でしょう?太陽の光に似ている」
そう、ここは晴れた日ににた光が降り注いでいる。
だから、ここに足を踏み入れた時、すぐにはわからなかった。
科学の進歩はここまできたのかと思うと、感嘆する一方で恐ろしくもなる。
「だから、たまにここが本当の外なんじゃないかって思う時があるんです」
花嫁はシリルの隣に腰を下ろした。
「壁も、壁のように見えないでしょう?外のように、まるでどこまでも続いていそう」
少しの間、2人の間に沈黙が流る。
その花嫁の横顔を盗み見て、その表情の女の子に何と声をかければいいのか、シリルは迷った。
花嫁は、あの凛とした背筋を伸ばした人ではなく、寂しそうな顔をした女の子だったから。
少し考えて、シリルは口を開いた。
「…少し、安心しました」
花嫁は不思議そうにシリルを見た。
「初めてお会いしたときもそうでしたが、『ロゼの花嫁』と聞いて、気難しい方を想像していたんです。でもちゃんと会話は成り立つし」
「…私も、少しだけ安心しました」
今度はシリルが首を捻った。
「護衛と聞いて、強面の方を想像していたのです。これからずっと、一番傍にいる方が怖かったら、気が引けていたと思います」
花嫁は少しだけ微笑んだ。
「質問、まだきちんとお答えしていませんでしたね」
花嫁は続けた。
「ここの花々が季節でもないのに咲いている。植物には一定の気温になったり、一定の暗い時間を与えると、開花や発芽をします。その条件は種類によってそれぞれ違います。その差異で花の咲く季節が決まる。でも、進化の過程で枝分かれしたものの、どの植物も元は同じもの。1つだけ、全植物共通の条件があるそうです。それをクリアすれば、花は咲く。ここは、そう言う環境なんです。全てが管理されている場所」
彼女の説明はそこで止まったが、その続きがあるような気がしてならなかった。
“全て”というものの範囲が。
「…本当によかった」
「…?」
「来たのが貴方で」
「どういう意味ですか?」
「信者の方でなくて、という意味です」
花嫁は微笑んだ。
「信者の方が迷惑、というわけではありません。でも、やはりどこか盲目的なので…。捨て身になってしまう方もいらっしゃいますから」
「お言葉ですが、自分のパートナーは信者です」
「存じています。でも、あの方は大丈夫。最後に信じるべきものを持っています。大切なものをわかっておいでです」
「…よく、おわかりですね」
驚いた。
アロイスのこんなところまでお見通しだったとは。
彼は確かに熱心な信者の1人だ。
しかし、いざとなればその信仰を捨ててでも大切なものを守り抜くだろう。
お人好しで面倒見がよすぎる彼だが、そういう男だ。
「そして、あなたも」
花嫁はシリルの瞳を見つめた。
「…お願いがあります」
「何でしょうか」
「戦わなければならないときは、相手も、貴方も、できる限り怪我をしないでください」
敵はともかく、痛いのは当然嫌いだ。
お願いされるまでもなく、いつだって怪我をしないようにしている。
「私を、命に代えてまで守らないで下さい」
「は…?」
一瞬、シリルは花嫁が何を言っているのかわからなかった。
「私のために、死なないで下さい」














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