ようこそ。
心より、お待ち申しあげておりました。

























神との対峙



























女性の神官に連れられて、長い廊下を歩いた。
何度か曲がり角を曲がったため、1人では帰れないなぁとシリルは呑気に思った。
一応遠慮がちに隣を歩くパートナーであるアロイスを見るが、相変わらず緊張しっぱなしな表情をしていた。
心なしか、柄にもなく冷や汗もかいている様子。
シリルは小さくため息をついた。
そんなに緊張するような任務か?
今までには何度か要人警護の任務もこなしたこともある。
要人警護なんて、戦時中の総大将やテログループに暗殺予告を出されている要人でも警護しない限りずいぶん楽な仕事だ。
滅多に攻撃が届くことはないし、もし踏み込まれても大したことのない連中ばかり。
緊張するような任務だって、怖かった任務だって、それこそ本当に死を覚悟するような任務など他にいくらでもやってきたではないか。
しかもアロイスは自分より養成学校3期上の卒業生。
つまり、単純に自分より3年分経験を積んでいる。
優秀な彼のことだから、退屈な任務もそこそこにさっさと特殊部に配属されただろう。
だとしたら警護ぐらいでそんなにがちがちになることはないだろう。
ますますわけがわからなくて、でもこの場所では話しかけていい雰囲気でもなくて。
仕方なく黙って彼の様子を窺いながら歩いていた。
この分では、彼も歩いてきた道なんて覚えていないだろう。
普段の彼ならまず間違いなくこの程度は覚えているのだが。
用を足したくなったらどうしよう。
そんな場違いなことを考えていたら、先を行く神官が1つの扉の前で足を止めた。
2人も一歩下がった場所で足を止める。
大きな木製の扉。
落ち着いた、深い色をしている。
金属性のノブは上品に緩やかな曲線を描いている。
しかし、この扉には何の彫刻もなされていなかった。
それどころか、新しく作られて継ぎ足されたかのように、今まで歩いてきた城と雰囲気が違う。
同じように威圧感、重厚感、高級感はあるのだが、時を経た重みがない。
歴史と伝統を重んじる王族はことのほかに増改築を避けてきた
今まで何百年も改造こそすれ、継ぎ足しなんてなかったのに。
いったいどうなっているんだ?
音もなくゆっくりと扉が開いていく。
まるで2人が到着したのを見計らったように。
いや、実際そうなのかもしれない。
中にいるのが本当にあの『ロゼの花嫁』なら…。
「どうぞお入りください。中にて花嫁様はお待ちしております」
女性神官はその場で道を譲るように1歩端に下がり、眼を伏せた。
促されるままに中へ足を進める。
中には窓が1つもない。
人口の明かりだけが部屋を明るく照らしている。
壁は白く塗られており、床は大理石だろうか、四角く切り出された白い石が敷き詰められている。
部屋の奥も違った。
王の謁見の間のように、階段で数段高くなっており、ステージのようになっている。
謁見の間はそこに高級な椅子が設置され、壁に紋章やら武器が飾られている。
だがここは、数枚の神官がかぶっていたようなレースが天井から垂れさがり、その先が隠されている。
1枚のレースを隔てて、左右の脇に女性神官が立っている。
いかにも神聖な感じだ。
何もかもが城とは違う。
2人はそのステージの中央から数歩下がったところに跪いた。
これは軍人の身分の高いものに対する礼の形式である。
パターンとしてはいくつかあるのだが、『ロゼの花嫁』に対する礼など習っているはずもなく、とりあえず王族へのものを咄嗟に代用したのだ。
そもそも、『ロゼの花嫁』に会うなんて、想定していないのだ。
そのままの状態で長くいることはなかった。
レースの一番奥から声が響いたのだ。
「御二方、顔を上げてください」
「はっ」
その声に従い、2人は顔をあげた。
鈴のことがったような声とは、まさにこのことではないだろうか。
そんなころころとした、澄んだ声。
女性のものだということはわかるが、女性は声変わりをしないので、年代まではあまり詳しく絞れない。
せいぜい若い、というくらいなもの。
「アロイス・シーラルド曹長様、シリル・ヴィブリッシュ軍曹様ですね。ようこそ、銀の館へ」
声が途切れると、小さな足音が近づいてきた。
それと共にレースに人型の影が映り、それはだんだんはっきりと輪郭を見せた。
その人物は1枚のレースの前まで歩き、歩みを止めた。
控えていた両脇の女性神官が最後のレースをそれぞれ脇へ引き、出てきた人物の前から取り除く。
「私が『ロゼの花嫁』です」
2人は再び頭を垂れた。
しかし、シリルはこっそり出てきた彼女を眼だけを動かして盗み見た。
自分が座っていて、しかも体制も悪く、彼女は台の上ということもあるが、天井の高さと、垂れ下がっているレースから換算して、だいたい160cmというところだろうか。
顔はまだ幼さを残している。
間違っても20代ということはないだろう。
腰まで届く流れる黒髪はつややかで、肩や背中を優雅に流れる。
息をのんだのは、その瞳だった。
左目は髪と同じく、吸い込まれそうな漆黒。
そして、右目は燃えるような真紅。
オッド・アイ。
髪や瞳の色は黒や茶色だけでなく、緑や紫、青、もちろ赤もある。
濃淡も人によって異なる。
しかし、オッド・アイはそういないのだ。
「今日から私の護衛の任に就いていただくとのことでしたね。頼りにしています」
「はっ」
そう言うと、彼女は再びレースの奥へ戻っていった。
レースの奥には扉があるのか、小さく開く音と閉じる音がした。
それから一拍置いて、ここまで案内をしてきた女性神官が現れた。
「シーラルド曹長様、ヴィブリッシュ軍曹様、お部屋を用意させてありますので、ご案内いたします。こちらへ」
立ち上がり、女性神官の後を歩いた。
城へは戻らずに、離れのような建物の中を歩いて行く。
廊下にはちゃんと窓が存在しており、雨で薄暗いながらも光を建物に呼び込んでいる。
石造りの離れは、ひんやりと涼しかった。
雨ということでそれなりに湿気はあるが、建物の中はじめじめしていない。
長い廊下をただ歩いて行く。
女性神官の後ろを、シリルとアロイスは並んで歩いていた。
隣を歩くアロイスを盗み見る。
いつもならすぐにシリルの視線に気がついて、「気をそらすな」と睨まれる。
しかし、今のアロイスはただ女性神官だけを見つめ、ただただ歩いていた。
シリルなど完全に意識の外にある。
こんな風になっている相棒を初めて見た。
王城にはアロイスは来たことがあると以前話していた。
だから、王城に来たことで気を張り詰めていつのではない。
やはりあの花嫁が原因か…。
何度か曲がり、神官は廊下の真ん中で立ち止まった。
2人もピタリと立ち止まる。
「お部屋は2部屋用意してございますが、特殊の兵の方はおひとりでは行動されないとお伺いしております。それぞれにベッドは2つ用意しておりますので、おひとりで1部屋ご使用になられましても、お二方で1部屋をお使いになられても構いません」
神官は続ける。
「お部屋はこちらになります」
指したのは神官の立っていた両脇の壁。そこには廊下をはさんで向かい合うようにドアがあった。
「この建物は機密が多々ございますので、不用意に知らぬ部屋にお入りなきようご注意ください」
そりゃそうだろう。
ここは王城。
多くのものの侵入を拒んできた絶対領域。
それに加えてこの不自然な増築をされた離れ。
そして『花嫁』。
謎が多すぎる上に、おそらく国の上層部の問題もかかわっているだろう。
不用意に首を突っ込まないのが得策だ。
「お部屋の鍵はお部屋の机の上に2つ置かれているかと思います。身の回りで必要かと思われるものはこちらで用意させていただきましたが、足りないものがございましたら何なりとお申し付けください。机の上にスイッチが置かれておりますので、そちらを押してください。誰かが窺いに参ります」
そして、と神官はその通路の先に視線を送った。
「この奥には1つ浮蝶の間と呼ばれるお部屋がございます」
「何の部屋ですか?」
「花嫁様のお部屋にございます」
何気なく聞いたシリルの質問の答えに、アロイスの表情はさらに凍りついた。
さすがにシリルの雰囲気も変わる。
「浮蝶の間の出入り口はこの先の扉のみ。お部屋の中には1つ窓がございますが、厚く、丈夫なもの。決して壊れることはありません」
「鍵はどのように管理されているのですか?」
「この部屋には鍵は1つ。花嫁様がご自分でお持ちになられております」
「他のどなたもお持ちになっていないのですね?」
「はい」
アロイスは緊張で動かない頭を無理やり動かす。
「お食事は花嫁様と同じ席、同じ時間帯にお取りになりますようお願いいたします。任務は基本として24時間体制、どちらかおひとりは常に花嫁様の御側におられますよう」
これから護衛の任に就く以上、これは絶対に知っておかなければならないことは多いのだ。
シリルは戦闘面やいざという時には役に立つが、それ以外はまるで使えない。
自分がしっかりしなければ。
それでは、と女性神官は一礼して去っていった。
「………」
「………」
無言の沈黙。
この沈黙を壊していいものか少し迷ったが、アロイスを見ていると日が沈むまでこのままでいそうだ。
そんなことをしていたら疲れるし、つまらない。
「先輩?」
アロイスは少しだけ俯いてい難しい顔をしていたが、シリルの声にハッと顔をあげた。
「何だ?」
「いや、このまま人通りの少なそうな廊下で野郎2人で突っ立ってるのもなんですし、中に入りましょ」
少しおどけたように首を傾け、右手の親指で自分の後ろの部屋を指した。
「1人部屋っていうのも憧れますけど、先輩がいないと落ち着かないし」
ね? と、いつもの調子で笑うシリル。
そうだ、普段はガキっぽくて、人の話は聞かない、訓練はサボる、道に迷う、どうしようもない奴だが、人の様子を見るのはすごく得意だった。
雰囲気を読んで、決して壊したり邪魔をしたりしない。
明るくて、よくしゃべる、人と付き合うのが上手な男なのだ。
柄にもなく心配をかけてしまっていたようだ。
いつもと立場が違うな。
相棒の様子に、そして今の自分にアロイスは苦笑した。
「そうだな、俺もお前のヨダレたらして寝てる面見ないと眠れないからな。せっかく用意はしてもらったが、1部屋を使うことにしよう」
シリルは顔をぱっと輝かせて、一瞬だけどちらの部屋にするか迷ってから自分の後ろ側の部屋の扉を開けた。
室内はとても広かった。
2人ぐらいではまったく圧迫感を感じない。
壁は白く、家具も色の濃い木製品で揃えられている。
部屋にはトイレ、風呂場、洗面台、簡易キッチン、洗濯機、冷蔵庫、空調機が備え付けられていた。
タンスの中には寝間着がきれいに畳まれてしまわれていた。
おそらくこれから届くであろう2人の荷物も十分に収納できそうな大きさ。
他にも埋め込み式の収納棚もあり、収納は十分すぎるほどある。
洗面台には洗面具が備え付けられており、管にキッチンには包丁からフライパン、皿、ナイフ、フォーク、調味料など大方のものは揃えられていた。
風呂場だって大の男が足を延ばせるだけの大きさの湯船。
部屋に置かれていた大きめのテーブルの上には先ほどの神官が言っていたように、この部屋のものと思われる鍵と、半円形の物体が。
半円形のものはその頂上に大きなボタンがあり、そらく誰かを呼びたいときにはここを押せばいいのだろうと思う。
ベッドもふかふか。
まさに至れり尽くせり。
どこかの高級ホテルのようだ。
シリルはとりあえず目をきらきら輝かせながら、部屋中の扉を開けて回った。
そのたびに「すげー!!」やら、「でかい!!」やらいろいろな言葉が聞こえてくる。
終いにはシングルサイズよりも少し大きなベッドにダイブし、そのスプリングの弾力に大喜びしていた。
短くはない付き合いだから、多少は予想していたが…。
さっきの扉はそんなに丈夫なものではなく、いたって普通のもの。
防音もそう期待できるようなものではなかった。
軽く壁を叩いてみてもわかるが、こちらも防音に関しては期待できない。
つまり、人通りが少ないとはいえ、軍人が、まして特殊部の兵が部屋ではしゃぎまわっているという物音も声もダダ漏れだ。
初めは 少しくらいなら と大目に見ていたが、さすがにこれが外に漏れているのも恥ずかしいし、見苦しい。
これは彼の性格なのだとわかってはいるが、自分は部下の教育を間違えただろうか、と心配にさえなってきた。
アロイスはため息をつきながら米神を抑えた。
こんな奴が『ロゼの花嫁』の護衛で大丈夫か?
シリルの実力は一番知っているが、本気で心配になってくる。
アロイスは少し息を吐いて、気合を入れ、息を大きく吸い込んだ。
「いつまではしゃいでるつもりだ、馬鹿野郎!!」
 
その日、銀の館にはアロイスのどなり声と、耳をふさぎたくなるような鈍い音が響いた。












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