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気付くのは、きっとずっと先






































君の笑顔





































『城下に行ったことないんですか?1度も?』
以前腕立て伏せの話をした時に少々世間知らずなのかとは思ったが、まさか1度も町へ行ったことがなかったとは。
『見たことは何度もあるんですよ。実際に行ったことがないだけで。とてもいいところだと知ってます』
そう言う彼女はいたって普通の表情。
いろんな小説や漫画のヒロインは、勝手に抜け出して探検したりするものだが、やはり実際は違うのだろう。
しかし、行ってみたいとか、思わないのだろうか。
『行ってみたいと思わないんですか?』
『興味はありますよ。でもそういう機会も滅多にないし、今は情勢が情勢ですから』
私ばかりが我儘を言うことなんてできませんよ、そう言って笑う。
でも思うのだ。
「こうしたい」「ああしたい」、そう思うことは我儘じゃない。
我がままだって、聞いてくれる人がいれば、それは「我儘」から「お願い」に姿を変える。
『じゃあ、時間とスキが出来たら行ってみますか?城下に』
『はい、行ってみたいです。その時はよろしくお願いします』
ほんの日常会話の一コマの、たわいもない小さな約束だった。
約束を交わした時の彼女があんまりにも綺麗に笑うから。
でもその約束はきっと果たされないだろうって、瞳の奥では思っているだろうから。
だから俺は、どうしてもあの何でもない約束を果たしたかった。
その理由を俺自身が気付くのはもう少し先の話ではあるのだけれど。









街に着いた頃にはもう日は真上を少し過ぎていた。
いつもは馬を飛ばしていく道のりを今日はニーナがいるのでゆっくり歩いてきたからだ。
馬を走らせているため、ゆっくり行くとどれくらい時間がかかるのかよくわかっていなかったのだが、案外時間を喰ってしまった。
流石に外泊をさせる訳にはいかない。
考えていたより少し早く戻らないといけないかもしれないな、そう考えた。
「わぁ、すごいですね!」
前に座るニーナの目がきらきらと輝いた。
きょろきょろとあちこちを見ては歓声を上げているため、何をすごいと思ったのかまったくわからない。
ひらりとシリルは馬から降りた。
「ここからは馬は置いて行くんだ。人の方が多いから邪魔になる」
手を差し伸べて、ニーナを馬から下ろした。
町のはずれや商店街のあちこちには馬小屋が数多くある。
そこに馬を預けて買い物などをするのだ。
馬番の男にいくらかの代金を支払って歩きだした。
もう目の前には商店街の大きなアーケードが見えている。
「今のお城にもたくさん人がいますけれど、やっぱりずいぶん違いますね」
「そりゃ城は軍人ばっかりだから。城下までムサ苦しかったらやってらんないよ」
「ふふふ」
今日も商店街は賑わっていた。
何かのイベントがあるときはこの比ではないが、やはり活気があって歩いていてとても気分がいい。
城下町ということも手伝ってか、ここでは比較的珍しいものやおもしろいものが見つかり易い。
そうは言っても隣を歩く彼女にとっては全てが珍しいだろうが。
「どっか行きたいとこある?…って言っても初めてだからわかんないか」
「わからないですけれど、いろんなお店が見たいです」
「じゃあこのままぶらぶら歩く感じでいいってこと?」
「はい、シリルさんがよろしければ」
「了解、じゃあその方向で」
その方が楽と言えば楽だ。
ニーナは本当に楽しそうに、ほとんど一1軒ずつ立ち止まっている。
それこそ女の子が好きそうな洋服店から八百屋、薬やまで。
ジャンルがめちゃくちゃだ。
「あのさ…」
「はい?」
見かねたシリルが声を掛ける。
これではいくら時間が合っても商店街すら終わらない。
くるりと振り返った彼女の手には先の割れる種類の白い根野菜が。
「そんなに時間もないし行きたい店に行た方がいいと思うんだけど」
「そう言われましても、どんなお店があるのわかりませんし…」
そう言って困った顔をした。
「…そういえばそうだったね」
しかし、だからと言って八百屋やら金物屋で半日の外出が終わるのはあまりのも寂しい。
そう思うのはシリルだけだろうか。
「じゃあ、女の子が行きそうな店に行こう。八百屋がダメって言うわけじゃないけど、何ていうか…、浮かないと思うよ」
「え?」
そう言われて彼女は首をかしげた。
周りにはどう見ても10代の女性はそういない。
主婦が主で、お店の人もにこにことして見ている。
だが彼女は気付かないようで、きょとんとしたままだ。
「浮いてますか?私」
「まぁ、ちょっとね」
そんな様子に苦笑した。





そうは言ったものの、年は近くても性別が違ってはまったく趣向が違ってくる。
この年頃の女の子が好んで行くような店など、正直よくわからなかった。
シリルだってもう今年で23になる。
多少はニーナの年代の女の子が好みそうな店も分かりそうなものだが、生憎そのころは男友達とばかり遊んでいた。
今はもう別れてしまったが、彼女が初めてできたのも軍に入ってからだし、だいたい体育会系の女性とニーナの趣向が同じとは思えない。
だから彼女が好きそうな、この年頃の子が好きそうな場所は想像の域を全く出なかった。
こんなことになるんだったら、数年前に少し女の子に興味を持てばよかった。
今更よくわからない後悔をしつつ、結局たどり着いたのは雑貨屋だった。
店内を覗くと、若い女の子やカップルが何人かいてちょっとほっとした。
「可愛らしいお店ですね」
シリルの後ろから聞こえる声。
ニーナはさっそく店先に出ていた花のステンシルの入ったコースターを見ていた。
「随分小さくて硬い布地ですが、これは何に使うんですか?」
不思議そうに手に取って眺めている。
「これはコースター。コップの下に敷いて、コップに付く水を吸い取るんだよ」
「夏などにつく水滴をですか?」
「そう。でも夏以外にも使うけどね。水滴取りだけじゃなくってさ」
「館でもこう言うものを使えばいいのですけれど…。そうしたらあの堅苦しさ、もう少し楽になると思いません?」
「堅苦しいとは俺も思うけど、コースターだけファンシーにしたって異様なだけだと思うけど」
「そうだ!神官のヴェール、あの裾にこんなお花をつけたらいいんです。ヴェールだってピンク色とか黄色とか。変えたら可愛いですよ、きっと」
「…っ」
本気でそう言っているニーナを見て、シリルは大笑いした。
一応我慢しようとしたのだが、想像したらどうにも我慢できなかった。
「な、何かおかしなこと言いました?」
おろおろとするニーナがおかしくて、少しの間彼の笑いは止まらなかった。
この店にいる客も、店員も、この国にいる全ての人間の誰がこの子を『ロゼの花嫁』だなんて思うだろう。
妙な改革を図ろうとしている彼女を。
サングラスとったって、オッドアイを晒したって、こんなことを言っている限りバレないんじゃないかとさえ思ってしまう。
だれも自分が信仰している宗教の対象がこんなことを言うだなんて信じないに決まってる。
少なくとも俺なら信じないし、むしろ信じたくない。
「いや、花柄のヴェールは止めた方がいいと思うよ。流石に今まで純白で通してきた宗教関連のものは、さ」
「そうですか?私、こういうの好きなんですけれど」
ようやく笑いが止んだシリルの横で、ニーナはちょっと残念そう。
あそこにピンクやら花柄が溢れたら、あそこは館じゃなくて保育所になってしまう。
それから店内に入って、ニーナの眼はいっそう輝きだした。
「これは?どんな風に使うんですか?とてもいい匂いがします」
「これ?香り袋か。使い方ってほどのものもないけど、持ち歩いたり自分の部屋に置いたりして匂いを楽しむんだよ」
「いろんな香りがあるんですね。お花だけじゃなくて、果物とか…、森の香りなんてあるんですか?」
「そっちは香り袋じゃなくてアロマオイル。使い方はよく知らないけど」
「これ、とてもいい香り」
テースターを手で扇ぐ。
「どれ?」
「これです」
渡されたのは花でも果実でもない香り。
「エレシド?」
アロマオイルの小瓶に張られたシールには木目柄。
「そのようですね。こんな香りがあるなんて知りませんでした」
「俺も」
「エレシドだけでもこんな香りなのですから、森の香りはいろんな香りが混ざっているんでしょうね」
「混ざり過ぎて変な匂いじゃなきゃいいけどね」
「きっとこれと同じで気持のいい匂いですよ」
「だといいけど」
残念ながら、森の香りのアロマオイルにテースターはなかったから想像するしかないのだけれど。
エレシド。
比較的その辺に生えているポピュラーな木の種類のひとつだ。
どこにでもあるというのは、町中でも森にも川にも、ということ。
だいたい見渡せば視界に入る。
巨木になる種類で、数千年生きて直径3mを越えるものもある。
スっとした、ここちよい香りだった。
「あ、これはろうそくですか?」
今度は隣の棚にある色のついたろうそくに手を伸ばした。
「いろいろあるんですね。館ではいつも白ばかりだったから知りませんでした。白は好きな色ですけれど、白しかない世界は少し寂しいです」
シリルにはこの言葉の意味が分からなかった。
白と言えば、純粋だったり清潔だったり、そういったことのイメージが強く、寂しいだなんて思ったことがない。
「そうだ、シリルさんの好きな色は何ですか?」
「俺?」
「はい。そうですね…、私のイメージはオレンジとか黄色っぽいです」
「オレンジも黄色も好きだよ。一番は何だろう…、水色とかかな」
「水色ですか。綺麗な色ですもんね」
「ニーナは?」
「私はこれがいいです」
そう言って見せたピンク色の巾着袋。
手近な棚に置いてあったんだろう。
ピンク色の布地に赤や紫、濃さの違うピンクの花が柄で刺しゅうされていた。
「ピンクか。女の子はやっぱりピンクが好きなもんなのかなぁ」
「女性はこの色、お好きなんですか?」
「少なくとも俺の周りにはピンクが好きな女子多かったよ」
「へぇ…」
ニーナは巾着をもとの場所へ戻し、別の棚へ向かった。
その後ろ姿を追わず、シリルはふらりと別の棚に移動した。




だんだん店の客が増えたことに気がついたシリル。
時刻を見れば午後4時を回っていた。
なるほど、確かに増えた客は学生服を着た若い子が多いわけだ。
もういくつか店を回れたらよかったけれどとも思ったが、この店、結構規模が大きい。
普通の中学の体育館の半分くらいの面積はありそうなものだ。
そもそも、ここへ来る前にいろいろ立ち寄り過ぎた。
どの店もシリルとしては面白さのかけらもない店ばかりだが、立ち止まったニーナは楽しそうだったから、まぁいいかと。
広い店内をふらふらと歩き出す。
今度はしっかりとした足取りで、しかもずんずん歩いていく。
もちろん店内の商品を見ているのではないのだから当然なのだが。
シリルの目的はすぐに見つかった。
「ニーナ」
くるりと振り向く。
黒い、長い髪が遅れてその動きについてきた。
「そろそろ行こう」
「あ、はい」
持っていた熊のキーホルダーをもとの棚に戻した。
2人で店の外へ出る。
来た時より少し空気が冷たくなったような気がする。
「楽しかった?」
そう声をかけると、楽しそうな声が返ってきた。
「はい、とても。私、あんなところに行くことができるなんて思いませんでした」
「それはよかった」
危険を犯した甲斐があったというものだ。
来た道を引き返そうと歩いているニーナ。
曲がり角でこっち、と手を引いた。
すると彼女は不思議そうに彼を見上げる。
「確かこっちから来たと思うんですけれど…」
「うん、まぁそうなんだけどさ…。あんまり行きたくはないんだけど、寄らないといけない場所があって…。ごめん、…ちょっと付き合ってね」
「もちろん構いませんよ」
何処へ行くのか告げてもいないのに、快く了承した。
何処へ行くのだろうとにこにこしている彼女の隣で、シリルはこの後起こる事を考えて内心溜息をついた。
あいつらが大人しくしているなんて思えないし。
ニーナ、絶対驚くよな…。
先に説明した方がいいかな…。
いろいろ考えているうちに目的地は見えてきてしまった。
「あそこ」
そう言って指差した先にあったのは八百屋だった。













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