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伝わる温もりは、誰よりも優しかった





































右手と左手





































国王暗殺からすでに10日ほどが過ぎた。
城下はすっかりもとの活気が戻っている。
優秀な新国王と、人望ある閣下のおかげで国も順調に動いている。
はっきり言って、国王が暗殺されて、しかも犯人が分かっていないというこの現状を除けば何の不便もない日常だ。
暗殺という形で始ってしまった元第1王子ルフリス政権だが、 前国王が近々政権交代すると噂されていたのもおそらく真実だったのだろうと思うほどスムーズに稼働している。
部下たちもすんなりルフリスに従い業務をこなしている毎日。
かなり平和だった。
表面上は。
もちろん政治がうまくいき、国もきちんと機能しているからと言って国王暗殺犯をいつまでも野放しにしておく訳にはいかない。
軍は威信をかけて捜査に当たっており、当時の状況が少しづつ分かってきた。
シェフが料理を作り、盛り付け、使用人が運んで行く過程ではいつもとなんら変わるところはなかった。
しかし、新人シェフが使用済みの食器を洗ってから次の日の朝までは普段は誰も触らないこと、国王が使用する食器は決まっていること、 最後の後片付けをした者がかけた鍵だけが厨房の唯一の防犯対策であること、朝番のシェフは交代制で鍵はコピーされ大量に存在していることなど、 挙げればひたすら警備面のずさんさが明らかになっていくばかりだった。
日が経つにつれて情報は集まるが、人の記憶は曖昧になり薄れ、消えていく。
ここのところの捜査は聞き込みが中心だったため、物的証拠や現場検証、詳しい司法解剖などは重点が置かれていなかった。
今は聞き込みと鑑定の比率は半々といったところ。
軍をあげての捜査のため、人手不足や通常業務の滞りなどの支障はきたしているものの、それなりに成果は上がっていた。







捜査が進み、人手が足りなく、通常業務が滞る。
この状況でもやはりシリルの最優先任務は花嫁もとい、ニーナの護衛だった。
この銀の館はいつも通り静まり返っているものの、一歩外へ足を踏み出そうものなら、殺気立った普通部の上官や走り回る兵が視界に入らない空間は今の王城にはなさそう なほど。
アロイスもここ数日は国王暗殺の件に多少関わっているようで、見かける頻度が減っていた。
その代り、近くにいない分無線や口うるさい注意事項が増えたのはシリルも重々気づいていたが。
そんなわけで、同僚たちが忙しく殺気立たせながら走り回っているのをしり目に、シリルは今日も今日とてあの花畑にいた。
当然のようにニーナの隣に腰をおろして。
ニーナは今日もいつものようにふわふわと風に髪をほんの少しだけなびかせて、手近な花を手に取っていた。
いつも「絵になるもんだ」と思って見ていた。
まるで経典のワンシーン。
宗教画の中に迷い込んだようだ。
「ここのところ…」
ニーナは口を開いた。
「シーラルド曹長はお忙しそうですね」
「先輩がここへ来る頻度、確かに減りましたもんね」
「それもそうですが、目つきが変わりました。とても、鋭いです」
「目つき、ねぇ…」
「はい」
言われてみればそうかもしれない。
部屋で会うアロイスの目つきはスイッチが入ったような感じだった。
戦闘前の会議みたいな、隣国の不穏な動きの知らせが入ったときみたいな。
シリルとて軍人の端くれだし、アロイスと付き合いが短いわけじゃない。
そういうアロイスなんて今まで何度も見てきたし、周りの同僚とて然り。
何かあればそういう風になる職種。
自覚はないが、自分もそうなるのではないかと思う。
同僚達が目つきが鋭くなることも殺気を放つことも日常といえば語弊があるが、別に珍しくもないし、今更恐れることでも気にすることでもない。
ただ、今そういう風になる状況なのだということだけ分かればいいのだ。
しかし、目の前の少女が少しだけ哀しそうに眼を伏せているのを見ると、同職種以外にはいい影響があるとは言えないんだな、と。
気をつけなければ。
シリルは視線を遠くへ投げた。
何度訪れてもここは不思議な空間だと思う。
時間を忘れてしまうし、いつも同じ景色なのに飽きない。
明日も来るんだなと思っても全く嫌気がささない。
このシリルでさえ。
しかし、そうだとしてもたまには違う景色を見たいと思うのが人であって、中でもそう言った類の思いが人一倍の彼。
アロイスが国王暗殺の件に関わりだしてからと言うもの、花嫁警護の時間が増えた。
それは別にいい。
仕事だし、アロイスだって現場検証や聞き込み、情報整理だけでなく会議や使用人たちの観察など神経をすり減らしそうな事をしているのを知っている。
はっきり言ってしまえば、これだけ厳重警備が敷かれている銀の館の奥部屋での花嫁警護など比べ物にならないほど楽だ。
信心深い人間なら1時間もせずに倒れるかもしれないが、あいにくシリルはそういう人ではない。
初対面ではびっくりしたものの、今では普通の少女。
いや、普通ではないか。
少々雰囲気は町娘たちとは異なっている。
だからと言って堅くなる相手ではないし、警備と言ってもこの花畑の部屋で一日中話相手をしているだけだ。
ちゃんと警戒して常に気は配っているものの、これで任務と言っていいのだろうかと、シリルとしてもちょっと不安になる。
「そういえば…」
今度は口を開いたのはシリルだった。
「花嫁さんは」
「ニーナです」
途中でシリルの言葉を遮った。
ちらっと向けられた視線は不満そう。
ちょっと苦笑。
いつもは大人びているのに、こういうところはやけに子どもっぽい。
「失礼。ニーナは一度もこの館の敷地から出たことはないんですか?」
「ありますよ。となりの王城へは何度か」
「では、王城内から外へは?」
「ない、と思います」
少し考えてそう言った。
それがまるで誕生日を聞かれた答えのように当たり前の口調で。
「外へ出たいと思ったことはないんですか?」
「ありますよ」
ニーナは笑った。
「昔、ずっとこの館の敷地に居続けるのがいやで、外に憧れていました。駄々をこねて周りの人を困らせたこともあります。 でも1人で抜け出す勇気も、駄々をこね続けることも、何にも出来なくて。結局諦めちゃいました」
懐かしい思い出話なのだろう、くすくす思い出し笑いをする。
その様子を黙って見ていたシリル。
「…行ってみます?外へ」
「はい?」
シリルの言っていることがよくわからないと聞き返した。
「昔諦めたこと、今やってみる勇気はありますか?」
「それって…」
「脱走ですよ。とは言ってもそう遠くまでお連れすることはできませんけどね。せいぜい城下町くらいなものです」
「で、でも、そんなことをしたらシリルさんが…」
「まぁ、ただでは済みませんよね」
「行きません!絶対に行きません!!」
ニーナはぶんぶん首を振った。
「バレたら、の話ですよ」
ニーナは首を振るのをやめてシリルを見た。
「バレなければ、それはなかった事実になる。俺達だけの事実です。 今は国王暗殺の件の方に人員を割いていて、頭の構造が単純なはやつらはそっちにばっかり気がいっている。 正直、外側からの警備には丈夫ですが、今の警備は内側には抜け道はあります。それに俺、何度も抜け出している経験あるんですよ。脱走なら任せて下さい」
それでも不安そうなニーナにシリルは悪戯っぽく笑って見せた。
「誰にも気づかれないうちに帰ってくればいいんです。大丈夫、危ない事するわけじゃないし、あなたくらいの子はたくさんいるところです。 大したものがあるわけじゃないですけど、元気がもらえますよ」
シリルはニーナ正面に座りなおし、手をとった。
「今回は駄々をこねて周りを困らせているわけじゃない。1人でやるわけでもない。強いて言えばこれは俺の我儘だし、2人共犯です。 誰かと大したことのない悪事の秘密を共有するっていうのも面白いんですよ。」
シリルの表情に、ようやくニーナの顔が緩んだ。
「本当によろしいんですか?」
「もちろん。俺もそろそろ王城以外の空気が吸いたくなってたんで」
「では、よろしくお願いします」
「もちろんよろこんで、お姫様」









もちろん結構は今すぐというわけにはいかない。
下準備が必要だ。
必要なものもある。
そのためには、協力者が必要だ。
その夜シリルは部屋で机に向かった。
ペンを持ち、紙にそれを滑らせる。
普段は紙もペンも嫌な思い出ばかりだが、今回はそんなことはない。
「あぁー…、なんて書き始めたらいいかなぁ」
どう書いても茶化してくるだろうあいつら。
そいつらの相手の面倒さに少々うんざりしてくるが、まぁたまにはいいだろう。
最近顔見てないし。
結局、無難に手紙の一行目には「久しぶり」と書いた。
最初さえ書いてしまえばあとは簡単。
前ふりらしいものも特になく、さらさらと書いていく。
アロイスはまだ帰ってこない。
今日も遅いのかなぁと思いながら、途中で手を止めて窓の外を見た。
大きな月が輝いている。
明かりを消しても行動するには困らないくらい。
流石に手紙は書けないだろうけど。










今日は綺麗な月が出ている。
開かない窓から見上げるそれは美しく輝いていた。
満月だろうか、今夜はすごく明るい。
綺麗に見えるのは、明るく見えるのは、月の光だけではないことをニーナは自覚していた。
シリルの言葉、提案。
嬉しくて、楽しくて、実行するかどうかわからないけど、初めて城から出ることが本当に楽しみなのだ。
シリルやアロイスが来てから毎日が変わった。
今までの交わす言葉もなく1日を過ごしていた日々ではない。
あの部屋の花以外の空間が色を持って、花は一層鮮やかに咲き誇って、夜が明けるのが楽しみになった。
ほんのひと時でも、楽しいと思える時間を過ごしている。
それが本当に嬉しいのだ。
窓辺から離れ、ベッドに腰をおろしす。
ほんの少しだけ弾んで、大人しくなるベッド。
ベッドの隣の小さな棚に、小さな花瓶が飾られている。
白い小柄な花が細い枝にたくさんついている。
先日シリルと話した花、ロサリア。
明かりを消すと、部屋の中を照らすのは外からの月明かりのみ。
その中で、ロサリアは薄暗い部屋の中に浮かび上がっていた。
花だけが浮かび、まるで白い光が浮いているよう。
ロサリアは白い花の中でも特に光を反射するのだ。
新月の夜以外ならだいたい夜道で簡単に見つけることができる。
いくつかある花言葉の1つはロサリアのこの性質から「導き」。
どんなに小さな光でも主張する花は夜にこそその力を存分に発揮する。
夜、月の輝きに答えるように白く揺れるさまは昔の人には神々しく見えたのだろう。
聖典にも度々登場している。
しかもどこにもで生えているとあって、知名度はかなりものもだ。
スタンドライトを消すと、やはり白くぼんやりと浮かび上がる、しろい小さな花。
ロサリアは導きの花だけれど、花嫁と呼ばれる私も導いてくれるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを思っていた。













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