もう、
夢は終わり、なのかな






























予兆
































「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
3人で手を合わせてそういうころには、あの大きなランチボックスの中身はほとんどなくなっていた。
ものの見事に料理はなくなり、始めは見えなかった底がよく見える。
「食った食った」
ころんと後ろに倒れる。
シリルは満足そうにお腹をなでた。
「まだ入るけど、満足したなぁ」
「起きろ馬鹿野郎」
「えぇー」
「ふふふ」
花嫁の笑い声にアロイスは謝罪した。
「申し訳ありません。みっともない男で…」
「いえ。見ていてとても楽しいです。人と談笑するって、人の談笑を聞いているって、こんなに楽しいことだったんですね」
花嫁は本当に楽しそうに笑っていた。
その笑顔にランチボックスを片付けていた手が一瞬止まった。
手が止まったことに花嫁が気づき、アロイスもはっと我に帰って、作業に戻った。








「それでは私は別の任に戻ります」
そう告げて一礼し、アロイスは夢の間を後にした。
アロイスの姿が見えなくなるまで見送って、部屋にはまたシリルと花嫁の2人っきりになった。
「今日は本当にありがとうございました。こんなに楽しい食事は初めてでした」
「いえ、俺は大したことしてません。それに急にこんなこと言いだしてすいませんでした」
さわさわと風が吹く。
茂っている草は瑞々しく、草も花も美しい。
触るとよりいっそうそれらも懸命に生きていると伝わってくる。
「俺の育った家は普通の家庭でした。冬が終わって春になって、暖かくなったら家族で少しだけ遠出して、原っぱみたいなところにシートをしいて。持って来たお弁当をみんなで食べてました。俺が行っていたところはこんなに綺麗ではありませんでしたけど。ここに来て、家族でランチボックス広げていたのを思い出して。そういう風に食べたらいいだろうなって思ったんです」
「ここは綺麗だとは思いますが、ここで食事をしようだなんて考えたことありませんでした」
「気持ちいいでしょう?」
「ええ、とても」
花嫁はゆっくりと目を閉じて、またゆっくりと開いた。
その眼はここを見てはいないような、どこか遠くを見ているような、そんな風に見えた。
さっきまでの楽しそうな表情から一変、表情が消えている。
いや、どこか寂しげで悲しげだ。
だが、シリルには何故花嫁が急にそんな顔をしたのか全くわからなかった。
「……軍曹は」
「シリルでいいです。軍曹なんて、この敷地にはいっぱいいますから」
「いいんですか?」
「もちろん。あだ名で呼びたければ、今までつけられたもの全て白状します」
「ふふふ、ではシリルさんとお呼びします。私のこともニーナとお呼びください」
「そりゃあ…、先輩の前で言ったら殺されます。…そうですね、2人しかいないときにでも」
「是非そうしてください」
花嫁はほんの少し笑った。
あの表情を消す為に呼び名の話題を咄嗟に振ったのだが、成功したのかもしれない。
「さっきお話したように、少しお2人の過去を見せていただきました。こうしてお話もして、お2人は信用に足る方々だと思っています」
「ありがとうございます。先輩に言ったら、きっと喜ぶと思います」
シリルは頭を下げた。
これは本当だ。
というか、シリルだって今、けっこう嬉しい。
面と向ってクライアントから信頼しているだなんて言われて、嫌な気になる人などいないだろう。
「今までお友達はラナくらいしかいませんでしたが、貴方とは仲良く出来る気がします」
「俺もです」
これも本当。
何度かこれまでに護衛の任務についたことがあるが、中には本当に性格が合わない対象もいた。
そういう時は完全に感情を殺して、仕事だと自分に暗示をかけていた。
必要以上の会話をせず、コミュニケーションなどほとんどとらなかった。
もちろんそういう時は任務のリスクが高まるのだが、それにも代えられないほど嫌な奴というのもいるのだ。
まぁ、今まではそういう相手のときにはアロイスに全面的に頼っていたが。
「まだほんの少しのお付き合いですが、私の中ではお友達です」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「お友達だから、ほんの少しだけお話します」
花嫁は少し目を伏せた。
さっきの寂しさと悲しさが混じったような表情を思い出させる。
「この先、大きな嵐が来ます。予兆はもう目の前にまで迫っています」
「嵐…、ですか」
「貴方がこれまでに経験してきたどの困難よりも大きなものになるかもしれません」
これまでのどの困難よりも、って…。
養成学校時代、教官にしごかれて、何度も死ぬかと思った。
軍に入隊してから、特殊部隊に配属されてから、それなりに死線をくぐってきた。
同期の奴らよりよっぽど死にかけていると思う。
本当に死んでしまった同期だって、もう両手だって数えきれない。
本気で死を覚悟したことも、大けがをして死にかけたこともある。
これ以上何があるというのか。
いや、今はそれよりも…。
「花嫁の護衛の任についている俺が困難にぶつかるということは、花嫁が何らかの危険に晒される、ということですか?」
そう聞くと、花嫁は苦笑した。
「この国の民、他の国の民は私の存在を知りませんが、国の上層の人間は周辺諸国、皆知っています。何度か本気で狙われたこともありますよ」
ライゼ教は世界的な宗教だ。
信仰対象の象徴がいるとなれば、欲しがるのもわかる。
「そういう意味では私はいつでも危険に晒されていると言えると思いますけれど…」
なるほど、頷ける。
大きな宗教はライゼ教の他にもいくつかある。
細かいものや、新興宗教含めたら数えきれない。
やはり宗教にはそれぞれ大きな特徴も共通点もある。
共通点としては、やはりその心酔性。
心から信仰し、心の支えにし、時には大きく曲解して過激な行動にでる者もいる。
今はこの国にいるが、自分の国へ来てほしいと願う国はいくらだってあっても不思議ではない。
花嫁の情報ともなれば、国家機密もいいところ。
特殊部だって一部の人間しか知らなかっただろう。
シリルだって、この任に就くまで知らなかった。
「困難はシリルさんや曹長さんに限ったことではありません。この国の転機かもしれません」
「国、の?」
「はい。多くの血が流れるかもしれません。多くの者が涙を流すかもしれません。多くの命が失われるかもしれません」
花嫁はほんの少し俯いた。
「…私は今までに多くの人の死を見てきました。花嫁の力で、あるいはこの目で。それは私に関わったことも、そうでないこともありました。しかし、今度は、この嵐は私が引き金になります」
花嫁は顔をあげた。
「人が命を散らすところなど見たくはありません。それがこうして言葉を交わした者なら尚のこと。以前私が言ったことを覚えていますか?」
以前言ったこと…。
思い浮かぶことは1つしかなかった。




『私を、命に代えてまで守らないで下さい』



『私のために、死なないで下さい』




あれだろう。
これを言われた時、本気かと疑ったが、その後の表情が気になっていた。
本気だったんだ。
「覚えています。“死ぬな”ってやつでしたね」
「はい」
シリルはゆっくりと語りだした。
「俺は、こんなこと言ったら怒られると思うんですけど、軍人は死ぬことが仕事だなんてこれっぽっちも思ってないんです。軍人だって怪我をするのは嫌だし、痛い思いだって、辛いことだってしたくない。もちろん死にたくなんてないし、そのために最善だと思うことを常に行うようにしてます。嫌なら辞める権利だって当然あるとも思ってます。軍人っていうのは職業なのであって、魚屋とか本屋とか、学校の先生となんら変わらない。ただの職種だと。ただ、やっぱり他の職種よりは当然リスクは高いし、死んでいく人も大勢います。生き抜こうとした結果で、です。俺は殉職は名誉だとは思えません。負けたから死んだんだと思います。でも、これは死んだ人を侮辱しているつもりはありません。戦って、戦って、最後までやった結果だったら仕方のないもの。名誉だとは俺は思いませんが、後ろめたいこともないと思います。残念な結果だとは思いますが、胸を張れるものだと思います。あれ?何か矛盾してますか?」
だんだん自分が何を言っているのかわからなくなってきた。
とにかくですね、と続ける。
「つまり、好き好んで死んだりしません。怪我もしません。俺にはあなたの様に未来が見えないので精一杯やるしかありませんが、結果として駄目だったら死にます。…嫌だけど。俺は自分が死ぬのは嫌ですが、人が死ぬのも好きではありません。だから、ニーナ…、様も最善の結果の為に最善を尽くしてください」
そう言うと、花嫁は少しだけ驚いた顔をした。
「私にそんな事を言ったのはあなたが2人目です」
花嫁は笑った。
「それから、私のことはニーナ、と。敬称はいりません」
「そう言われましても…」
ひどく嬉しそうに。
今までで一番、綺麗に。
「わかりました。私も私のため、私に関わる全ての人の為に最善を尽くしましょう。約束です」
そう言って、花嫁は右手を出した。
柔らかく握って、小指だけを伸ばして。
「約束って、こういう儀式があるんですよね。前にラナに教えてもらいました」
にこにこと子供のよう。
それは小さな子供がするんですよ、と言おうかと思ったが、彼女の表情はとてもその仕草に似合っていた。
言うのはやめて、苦笑しながらシリルも右手を差し出した。
同じように、小指だけを伸ばした手を。


指きり 拳万
嘘ついたら針千本飲ます
指切った


歌の終わりと共に絡めた指を放した。
何となく寂しい気がしたのは気のせいだろう。
指きりが楽しかったのか、にこにこしている花嫁をほほ笑ましく思った。
外には多くの兵がいる。
何故今、こんなに警備が厳重なのかはわからない。
しかし、城下にだってたくさんの兵が警備をしている。
ここへだってそう簡単に辿りつけないだろう。
ふわふわとした、優しく笑う少女。
「針を千本も飲むのは大変ですよね」
「そうですよ。だからちゃんと約束は守らないといけないんです」
閉じ込められて幸せとは言えないかもしれないが、少なくともこの笑顔が消えないように願った。
できるだけ長く、この時が続きますように、と。





















ある一報が駆け巡ったのは、それから数日と経たないある冷たい雨の日だった。
メデマイラ王国第87代国王が逝去なされた。


今から思えば、これが嵐の予兆だったのかもしれない。













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