扉の向こうは、やはり事務所の様だった。
書類が乱雑気味に置かれた大きめな机、ファイルがぎっしり詰まった本棚。来客用のソファーやテーブル。
ただ1つこの部屋におかしな所があるとすれば、パソコンだ。
1台や2台あるのは常識の範囲内だ。むしろこのご時世にない方がまれだ。
しかし、この部屋にはパソコンが5台ある。
コードはきちんと整理されているようで床が見えないということはないが、どのパソコンもマウスがない。
そんな中、所古いこまは中にいた別の人物と話をしていた。
「蛇ちゃんはどうしてこんな所にお1人でいらっしゃるんですか?」
「んー?今日はな、月ちゃんが三陰みつかげさんに捕まってもうてん。んで、予定空いてもうたからな、茶でも飲みに来てん」
「そうですかー。蛇ちゃんも大変ですねー」
「おー。黄泉よみもキバリやー」
顔見知り同士な様で、なんと言うこともなくまったりとした適当な会話が続いていた。
「所古」
真咲が声をかけると、2人はほぼ同時に振り向いた。しかも、揃って驚いた顔をしている。
部屋に入ってきたのに気づいてなかったのか。そんなに真剣な話でもなさそうだったけど。
真咲は歩み寄って、所古の頭にチョップした。
「きゃう!」
頭を押さえながら、所古は恨めしそうに真咲を見やった。
「何するんですか、あーた!」
「何するんですかじゃないだろうが!店長にさんざん迷惑かけて、勝手にこんなとこまで入ってきて!
 お前の頭はどういう構造になってんだよ!」
「あれは黄泉たちを騙したお馬さんが悪いんです!」
「圧倒的にお前が悪いわ!」
「まーまー、にーちゃん。とりあえず落ち着き」
真咲と所古の間に、先ほどまで所古と話していた男性が仲裁に入った。
店長の遊馬あすまさんと同じくらいだろうか、こちらもひょろりと背が高い。歳は20代前半というところだろうか。
柔らかいブラウンに髪を染め、デニムのパンツをブーツインではいている。
大きめの白いTシャツにツイードのライダージャケットを羽織っている。
胸にはゴツめのシルバーアクセサリーが揺れていた。
鼻筋が通った顔はすっきりとしていて、モデルのよう。
「あんた、俺とは初対面で合っとるな」
「はぁ…」
「ならお互い自己紹介せなあかんな。黄泉、紹介したって」
「了解です。先輩、こちらは蛇ちゃんといいまして黄泉のお友達です。お馬さんとも月ちゃんともお友達です。
 胱月院こうがついん先輩とも見識はばっちりある方です」
所古は今度はくるりと回って真咲に背を向けた。
「こちらは十条先輩です。黄泉の高校の先輩で、話題の転校生です。胱月院先輩の数少ない貴重なお友達候補生で、
 胱月院先輩救助隊の名誉ある隊員でもあります」
こんな感じですかね、と 所古は紹介を終えた。
全く紹介になってない。名前すら分からなかった…。
「なんじゃその紹介は。名前すら分からんかったやんけ。しゃーない、自分たちでやるか。
 俺は蛇草 十兵衛はぐさ じゅうべえ。こいつの言うところの蛇ちゃんは俺やな。
 誕生日は8月23日。血液型はO型。仕事は黙秘。好きな女の子のタイプと俺のスリーサイズも聞きたいか?」
「いや、それは結構です」
「なんや、えらいノリの悪いやっちゃのー」
聞いてくると思っていたのか、蛇草は不満げに眉を寄せた。
「あの…、俺も自己紹介しなきゃダメですか?」
「当たり前やん。相手を知って、自分を知ってもろうて。お友達の第一歩や」
また厄介そうな奴に捕まってしまった…。
自分の不運を呪い、内心大きなため息をついた。
「名前は十条 真咲じゅうじょう まさき。花山院大学付属第一高等学校の2年生です。…何か他に聞きたいことありますか?」
「んじゃ、とりあえず好きな女の子のタイプと自分のスリーサイズ」
「あんまり話したくないです。ってか、スリーサイズなんて測ったことないし」
「なんや、えらいノリの悪いやっちゃなー。ならアナザークエスチョンや」
初めから答えないと思っていたようで、蛇草はあっさり質問を変えた。
「司の救助隊って何の話?」
「それは所古が勝手に言ってるだけです」
「せやのうて、あの性格ひん曲がったがきんちょがそう簡単にピンチになるわけないやろ」
どれだけ周りに喧嘩売ってんだよ、あいつ。
そう思っていたとき、がちゃっと扉が開けられた。
「銀行に立て籠もっている強盗の話だろ」
振り返る。
入ってきたのは店長の遊馬さんだった。口調はお店の時とはまるで違ってなんとなく角張っている印象だ。
「お馬さん」
あおいちゃん」
遊馬は部屋に入って、心底仕方なさそうに1台パソコンの電源を入れた。
「あの、すいません。すぐに出て行きますから」
真咲はすぐに所古の首根っこを掴んだが、遊馬はパソコンを操作しながら真咲を制止した。
「いい。どうせここで放り出してもしつこいからな。君も面倒な人間に捕まったもんだ。苦労してるだろう」
危うく「全くです」と口に出そうになった。
「銀行強盗って言うと、今朝の立て籠もり?」
「流石にそれくらいは蛇草でも知ってるか。どうやら胱月院が人質の1人になったらしいな。志良堂しらどうが見ていたそうだ」
「ほー。そら また勇気ある強盗やね。っちゅーか、時ちゃんが目撃者やったんか。」
「通報したのは別の目撃者だがな」
「そらそうやろ。あいつがそないな善良都民みたいな真似するわけ無いからな」
蛇草は遊馬の操作するパソコンをのぞき込みながら適当に答えた。
「それで?お前らは何が知りたいんだ?」
「先輩を救出するルートです」
所古は堂々と言い切った。
「そんなもんあるんなら、とっくにお巡りさん方が解決しとるんやないの?」
「ですから、秘密の抜け道みたいなやつですよ。その方がなんか格好いいじゃないですか。正義の味方みたいです」
「なぁ所古、そんな幻想捨てて帰ろうよ。言ったろ?俺たちには何にも出来ないし、そんな抜け道もないんだ」
「そんなことないですよ。無ければ作っちゃえばいいんですし」
「その時点で既に秘密の抜け道やなくなっとるけどな」
「そうですかねー」
「だから、夢見たみたいなことばっかり言ってないでさ。警察に任せればいいんだって」
「いや、警察は人命第一、書類と上司の命令でしか動けない組織だからな。ほっといたら確実に夜が明けるぞ」
カタカタとキーボードを叩く音がする。覗くと、ものすごい速さで遊馬の指が動いていた。
「あった」
「何がですか?」
所古もパソコンをのぞき込んだ。
「銀行強盗が立て籠もってるのは千幸時ぜんこうじ銀行だから、もしかしたらと思って調べてみたんだ。
 そうしたら、やっぱり昔隠しカメラ仕込んだ銀行だ」
「やったやないか!」
「ええ!」
「それ、喜んでいいんですか!?」
何故か一緒になって蛇草まで喜んでいる。その2人に真咲の言葉は届くはずもない。
「昔隠しカメラに凝ってていろいろ仕込んだんだ。若気の至りだな。回収は面倒になって放置した物がほとんどだが」
そう言って、エンターキーと叩くと、画面には現在の銀行内の映像が映し出された。
「「おぉー!!」」
「すごっ…」
思わず声を上げる3人。しかし、無理もないほどにそれは明確に今の状況を映していた。
有無を言わせぬほどのスピードで動く指。開いては閉じていく大量のファイル。パスワードを次々に打ち込んでいく。
その瞬間に思った。携帯番号はハッキングしたんだ。
「おそらくこれが胱月院だな」
遊馬は画面の一点を指した。一カ所に集められた人質と思われる集団。その中に胱月院がいた。
「恐らくこれが胱月院だな」
「ですね」
「本当だったんだ…」
「ほんまに捕まっとるやん」
3人の反応はそれぞれだ。
「以前仕込んだカメラは全部で5つそのうち今回役に立ちそうなのは3つだな」
「ちなみにどこ?」
「ロビーと接客席あたり、その奥、倉庫。残りの2つは階段とゴミ捨て場」
「最後の2つはえらくマニアックやな。オーソドックスにトイレはやらんかんたんか」
「そんなもの初めから眼中にない」
だいたい…、遊馬は眼鏡をくいっと持ち上げた。
「盗撮は犯罪だろ」
「これ撮ってる時点で充分犯罪なんじゃ…」
「せや、真咲の言う通りやで」
すでに十年来の友達のような親しげな言い方だ。
「これが銀行の見取り図と建設時の設計書だ。
 配管、ケーブル、一応防犯装置の位置はこっちに書いてあるから自分で読め。
 おそらく防犯装置は犯行グループが全て解除しているだろうから、たいした心配はいらないだろう」
ばさっと数枚の紙の束を差し出した。それを黄泉が玩具をもらった子供のように嬉しそうに受け取った。
「さっすが蒼ちゃんや」
「このくらいはな」
ふん、と得意げな遊馬を蛇草が肘でつつく。
「ただし、俺がするのはここまでだからな。後は勝手にやってくれ」
かたかたと画面を操作する。先ほど言っていた3つのカメラの映像が同時に画面に映し出された。
「あの…」
「「ん?」」
真咲の声に2人が同時に見やった。
「警察に任せておけばいいのに、どうして助けに行こうなんて考えるんですか…?」
真咲の問いに、2人は顔を見合わせた。
本当は聞きたいことは他に山ほどある。
蛇草の事は素性不明医だし、遊馬だって明らかにただのドラッグストアーの店長じゃない。
所古は今もよく分からない生物だ。
しかし、一見おかしな組み合わせの3人は何の疑いもなく説得も論議も常識もなく胱月院を助けに行くという。
口では言わないが、確かに顔見知り程度の仲じゃないにしても真咲には異常に見えた。
先に口を開いたのは遊馬だった。
「昔借りを作ったからな。少しでも返しておく。
 それと、こいつらは何を言っても聞かないからな。いつまでもいられては商売に関わるんだ」
「んー、俺の場合はおもしろそうやからってのが多いけど。でも、知り合い獲られたっちゅうのもいただけん」
「お友達のピンチはお友達が助けるものですよ、先輩」
黄泉が当たり前のように入ってきた。
3人の答えはこれから起こす行動の説明には取るに足らないものだ。
しかし真咲には何故か十分な理由な気がした。そんな3人をかっこよく思った。
「もちろん先輩も参加しますよね?」
黄泉は至極当然のことを言うように訊ねた。それこそまるで信号機の赤は止まれだったよね?とでも聞くように。
「…あぁ」
その誘いを断る理由も目的も見つからなかった。
一瞬の迷いもなく、そして真咲はその答えは当然のもののように感じた。



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