腹の底が冷たい。
どすんと大きな漬物石でもあるみたいに重い。
そんな時はいつも 意外とチキンだよなぁ、俺 とか思ったりもするが、今回は自分をそんな風には思わなかった。
本能が語りかけてくるなんて空腹と睡眠不足以外では初めてだからだ。
しかしそんなことは言ってられない。
業務が終わった駅では駅員に助けを求めることはできない。
いや、この場合はいたずらか気のせいだと相手にしてもらえないかもしれない。
相手にしてもらったとしても1駅員がはたしてどうにかできるのかも甚だ疑問だ。
自分を落ち着かせるように、大きく息を吸う。
「せーのっ」
真咲の掛け声で3人は一斉に振り返る。
そこにあったのはあり得ない光景。
しかし、頭の裏側では反射的に予想していた答え。
流石の3人も一瞬言葉を失った。
さっきまでそこに、石の台の上にいた石のフクロウがその翼をはためかせて空中に浮いているのだから。
「……どっ、どうして浮いてるんですか!?石なのに!!」
その硬直から初めに抜け出したのはまたしても所古いこまだった。
「…いや、疑問を感じるのはそこじゃないだろう」
「そうだ。鉄の塊が数100人の人を乗せて飛ぶこのご時世、石だって飛ばせるだろ」
「…お前もなんかずれてるよな」
続いて真咲まさき胱月院こうがついんもフリーズが溶けた。
しかし目の前のモノに完全に固まっている。
真咲は2度目なのでそれほどパニックにはなっていないが、流石にさらっとこの状況を受け入れられるというわけではないようだ。
所見の真咲を顧みれば、ずいぶん落ち着いたものだ。
「……先日公園でお前が見たのはこれか?」
目の前に浮く石のオブジェから視線を一切話さずに、言葉だけを向ける。



あの時、

轟音と共に巻き上がる土煙り

その中にいた、一見ずんぐりむっくりに見えるが、実はそうでもない石の塊



あれは間違いなくこいつだ。

「…あれだ」
短く答える。
「おい、そこのフクロウ」
「!?」
胱月院の行動に真咲は絶句した。
なんか、普通に話しかけている。
しかもかなりの上から目線で。
隣の所古はもうすっかりこの状況に適応したようで、いつもの調子に戻っていた。
フクロウさんとお話しできるんですか?とか呑気な事を言っている。
この2人は実際に見ていないし、所古に至ってはそもそも真咲の話自体忘れていそうなものだが、先日目の前で出来上がったクレーターを作ったのは今ふわふわ浮いているこの石の像なのだ。
そんな真咲を無視して胱月院は続ける。
「ここのところ多発している器物破損事件…、クレーター作っているのはお前か?」
「……」
フクロウは何も答えない。
「俺たちは先日東池袋公園にいた。そこで目の前でクレーターが出来るのを見た。真咲はお前が上から降ってきたと言ったが、犯人はお前か?」
「……」
フクロウは何も答えない。
「…お話出来ないんですかね?」
所古は至極残念そうに呟いた。
「石でできていようが浮いていようが、所詮はフクロウ、ということか」
この状況に適応できていないのは、フクロウを見るのは2度目の真咲。
この2人の適応の早さにあっけにとられ、それからようやく受け入れ始めた。
「…フクロウが話ができるとかできないとか、そんなことはこの際どうでもいいんじゃないか?」
ようやく出た一声がこれ。
なんとなく情けなくなった。



ホー



石の口が上下に開き、その間から鳴き声が洩れる。
真咲が聞いた、あの鳴き声。
指先が冷たくなっているのが自分でもわかる。
今にも冷や汗でも出てきそうだ。
「鳴きました!」
隣では所古が動物園に行った子供みたいな反応をしているが、それに対応するほどの余裕は今の真咲は持ち合わせていない。



ホー   ホー   ホー



空中で羽ばたきながら鳴き続ける。
胱月院はその様子を黙って見ていた。

『…お前らは……、何?』

「!」

機械音ではない。
でも動物の声でもない。
明らかに人の声に近い、人の言葉が語りかけられる。
『何しに…、来た?』
「お話しできますね!!」
所古は異常に喜んでいるが、真咲は再び凍りついた。
今回は胱月院も同じようで、いつもは知性と落ち着きを湛えた切れ長の細目も大きく見開かれている。
流石に本当に話をするとは思っていなかったようだ。
「黄泉たちはですね、フクロウさんに会いにきたんですよー」
……緊張感がまるでない。
こいつだけ見えている世界が違うのではないかと本気で疑ってしまいそうだ。
「フクロウさんはどうして…むぐっ」
「いいからお前は少し黙ってくれ、頼むからっ!」
無理やりフリーズから抜け出して、真咲は所古を後ろからはがいじめにした。
『探…して……る…』
「‘探してる’…?何をだ?」
真咲に続いてフリーズから抜け出した胱月院は聞き返した。
『…どこに…あ…る?わか…らない…』
「勝手に自己完結するな。俺の質問に答えていない」
早くもいつものペースを取り戻しつつある胱月院に真咲は本気で感心した。
『行く…。探…す』
バサリと翼をはばたかせ、フクロウは真咲たちの方へ向かって飛んできた。
「うわっ!」
「ちっ」
真咲は所古を抱えたまま、胱月院は舌打ちして伏せる。
石の塊が当たってはひとたまりもない。
落下距離はわからないが、今までにできたクレーターがその威力と石造の硬度を物語っている。
「追うぞ!」
「は!?」
フクロウを追って走り出した胱月院を真咲も慌てて追う。
ペンライトなど使っている余裕はなく、道を照らすのは非常口の在り処を示す緑色の光のみ。
薄暗くて、心もとなくて、気味が悪いが、そんなことは言っていられない。
先を行く胱月院との距離はどんどん離れていく。
「先輩」
抱えているこいつのせいで。
「何だよ!」
「先輩、黄泉はちゃんと走れますよ?」
「…そりゃそうだ」
前回ビルでは階段を息を切らしながら登っていたため勝手に体力がないと思い込んでいたが、階段だけは特別 みたいなことを言っていた。
いったん止まって所古を下ろす。
その瞬間に一気に体全体が楽になった。
小柄とは言え女の子1人抱えて走るとなると、相当な体力を使うのだ。
そうしている間に先を走る胱月院のす姿はすっかり見えなくなってしまった。
聞こえるのは遠くの足音だけ。
「やばっ。行くぞ!」
「はいです!」
2人も足音を追って走り出した。









しばらく行くと、胱月院は佇んでいた。
2人が到着すると、「見失った」と一言。
そこにあるのは静寂だけで、羽ばたく音などどこからも聞こえなかった。















朝日が眩しい。
寝不足の朝は特に強く感じる。
大きな欠伸を神ころろすこともせず、真咲は大きく口を開けた。
昨日…、もとい今日の駅の一件の後、学校があるからと3人は一時解散した。
一番自宅が近い真咲でも家に着いたのは午前2時。
すぐに寝たものの、やっぱり睡眠不足で気を抜くとうっかりそのまま寝入ってしまいそう。
テスト中なら2時3時は当たり前に起きていたのだが、普通の平日の夜更かしは正直辛いものがある。
真咲がこれなのだから、2人はもっと寝不足だろう。
というか、自宅に帰るにも電車内のにいったい2人はどうしたんだろうか。
解散する前、電車がないのはわかっていたので、真咲は2人に自分のアパートに泊ることを勧めた。
しかし2人は真咲の申し出を断った。
胱月院はともかく、所古が断ったのは意外だった。
まぁ、理由が「布団で寝ると寝坊する」というのはよくわからないでもなかったのだが。
いくら言っても断る2人。
結局心配はしたものの、真咲は1人でアパートに帰ったのだ。
きっと始発あたりで自宅に帰り、学校へ行く準備をして登校、というところだろう。
しかしどこで一夜を明かしたのだろうか。
池袋でも24時間やっている店はそれなりにあるから、漫画喫茶あたりの椅子で寝たのだろうか。
………最近の若者ホームレスのようだ。
そんなことを考えながら、真咲は校門をくぐった。





教室へ行くと、胱月院はすでに登校していた。
相変わらず澄ました顔で何か読んでいる。
おはようと先に登校していたクラスメートたちとあいさつを交わしながら自分の席へ向かう。
「おはよ」
声をかけると胱月院は本から視線を上げた。
「来たのか。今日はサボるかと思ったが…」
「お前な、朝っぱらからの第一声がそれかよ」
真咲は言いながら椅子を引き、腰をおろした。
鞄の中から1時間目の英語に使う教科書と電子辞書を取りだした。
「だいたいそれはこちのセリフだよ。お前ら昨夜どこで一晩過ごしたんだよ」
「自宅に帰ったに決まっているだろうが。所古はまた俺にくっついてきたがな」
「電車もないのにどうやって」
「お前、携帯電話は何の為に持ち歩いているんだ」
「…あぁ、なるほどね」
納得はしたものの、それはそれで問題が起きそうだ。
「あんな真夜中によく迎えに来てくれたな」
「仕事なんだ、来るに決まっている」
「タクシー拾ったってことか?」
「いや、使用人を呼びつけた」
「………だから、お前はいったいどんな世界の住人なんだよ」
そこまで言ったところで、担任の鬼貫おにつらが教室に入ってきた。
今日も今日とて明るくて元気がいいのはいいが、頭痛でも持っていたら悪化しそうだと思った。
「十条」
隣から聞こえてきた控え目な声に、真咲は顔は向けずに声だけ返事をした。
「今日の昼は屋上へ来い」
いつもの命令口調だ。
もし既に真咲が誰かと昼食の約束をしていたら、とか考えないのだろうか。
まぁ、いいけど。
予定も特には入ってないし、コイツはこういう奴なんだし。
鬼貫は真咲と胱月院の会話には気が付いていないようで、ホームルームを続けている。
「わかった」
真咲は溜息交じりに答えた。
窓から見える空は今日も気持ちがいいほどに青い。
雲の白がよく映える。
屋上はきっと気持ちがいいだろう。
ゆっくりと流れる雲を見ながら、真咲は全く話を聞いていなかった教室から出ていく鬼貫を見送った。




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