昨日が昨日だったので、1時間目の英語の予習はずいぶん適当になってしまた。
英語の佐藤という教師は妙な所で熱血なところがあって、出来ない事は咎めないが、やらないことは許さない。
授業は一人一人指して教科書の英文の役を言わせ、文法事項の説明をするという普通なもの。
ただしその指し方がランダムなため、真咲は今日は授業中ヒヤヒヤしっぱなしだった。
幸い指されなかったが。
しかし胱月院は指されてしまった。
しかも他の質問よりも難易度が高かったのだ。
一瞬ヤバいかなと思ったが、彼は難なくスラスラ答えた。
こっそりノートを覗いてみたが、真咲と同程度しか予習はしておらず、真咲はずいぶん感心した。
秀才という看板は、どうやら伊達じゃないらしい。
2時間目の物理、3時間目の数学VC、4時間目の国語は何の問題もなく過ぎて行き、お昼休みを告げるチャイムが響いた。
今日は朝眠くて弁当が作れなかったため、購買でパンをいくつか購入してふらりと階段へ向かった。
最近は5月といえど、昼間は汗ばむような陽気の日も多々あった。
今日もその例外ではない。
しかし前の高校もそうだったが、廊下やら階段というところは真夏でもたいてい外界を拒絶したかのように温度が違う。
夏は過ごしやすくていいのだが、冬は一転、極寒の地と化すが。
前回と同様、人気のない階段を1人上っていく。
息が切れてきたころ、ようやく外へ通じる重い鉄の扉が見えてきた。
そこを押して外へ出ると、東京都の真ん中とは思えないほどの大きな空が広がっている。
青い青い空に、ふわふわと漂う白い雲。
ふんわりと吹き抜ける風はたまらなく心地いい。
フェンスまで歩いて、下を見下ろすと、たくさんの生徒達が小さく見える。
「遅かったな」
後の、しかも上の方からの声に振り替える。
声の主はもちろん胱月院。
前回と同じように、出入り口の上に上って寝ていたいたようで、上半身を起こしていた。
「お前が早いんだよ。所古は?」
見当たらない後輩をきょろきょろと探す。
彼女のことだから、ここにいるなら真先に真咲に飛びついてきそうなものなのだが。
「あいつは来ない」
「何で?あ、休み?」
「いや。サボりだ」
何ということもなく言い放つ胱月院。
昨日の件で休みと言うなら、サボりと言うのはどうだろう。
ダルくて来ていない訳じゃないんだし。
どこで何をしているのかは知らないが、体調を崩したと言うわけでないならとりあえずよしとしよう。
前回と同じように、胱月院はふわりと飛び降りた。
大きな音もなく、その姿は体操選手か、はたまた忍者か。
いったいどういう運動神経をしているのやら。
胱月院は無言のまま真咲のを通り過ぎ、フェンスの前まで来て振り返った。
「以前お前が見たのはアイツか?」
彼は至極普通に尋ねた。
小馬鹿にしたようでもなく、と乱しているわけでもなく、まるで午後の授業なんだっけ?と尋ねるように。
胱月院の言うアイツ。
言われなくても分かる。
今彼が言うなら、昨晩のフクロウだろう。
「だぶんね。フクロウの区別なんてつかないけど」
真咲は胱月院のところまで歩いて行き、隣に並んだ。
「とりあえずさ、昼にしようよ」
真咲は買ってきたばかりの袋を少し持ち上げて見せた。
購買で買ったパンが数個入っている。
「そうだな」
2人はフェンスに寄りかかるようにその場に腰をおろした。
もうあと2週間足らずで衣替えになるこの季節。
上着を脱いでも、少し汗ばんできそうだ。
教室は室温が自動で管理されているため、一日出なければ季節感なんて何にも感じないで快適に過ごせる。
真夏や真冬は助かるだろうが、一方これでいいのだろうか、という疑問もわかないではない。
生暖かくなりかけている風が、2人の間を吹き抜ける。
無言の間、ビニール袋の擦れる音だけがその場を支配した。
「今日さ、1限で指されただろ?よく答えられたよな」
初めに沈黙を壊したのは真咲だった。
なんてこともない、普通の話題で。
「あんなもの誰でも答えられるだろう」
「昨日もずいぶん夜更かししてたしさ。頭いいんだなって思った」
「俺が頭がいいんじゃない。お前が馬鹿なんだ」
「そこはまぁ…、否定はしないけど…」
落ちこぼれているつもりもないのだが。
しかし、毎度のことながら、よくここまで言い切るものだ。
「話を戻すが、」
胱月院は紙パックのジュースにストローをさしながら切り出した。
「確かにあんなものいきなり上から降ってきて、しかも自分にしか見えていないなら慌てるな。お前の反応は正しい」
「…よくわからないけど、ありがとう」
切り出された割に、初めの言葉は反応に困った。
「俺も正直驚いた。あれはJRが開通した時の記念で作られた像だ。当時にあんなに本物の生きたフクロウのように飛ぶロボットを作る技術はなかった」
真咲はパンをかじり、胱月院はジュースに一口口をつけた。
「もちろん今もだ」
「……」
そう、人工知能や特殊メイク。
そういったことはできるが、実際に人の前に出されれば、大抵のものは見破られる。
温もりを持たぬ機械が、地の流れる生き物を模した場合は特に。
ぎこちなさ、雰囲気、何かしら違和感を感じるだろう。
しかも普段あれだけ多くの大衆の前にいるのだ。
もしロボットだとするなら、誰かしら気がついてもいいものだ。
「ロボットを作ってすり替えたと仮定するなら、俺たちのように忍び込むことは不可能じゃない。だが、今回は仮定が間違っている。今の技術ではあんなものはつくれない」
それは真咲も始めてみた瞬間に感じていた。
『偽物じゃない』
直感的に。
彼のように物事を考えたりしたわけではないが、それでも何故か確信があった。
「しかし、あれはいったい何なんだろうな…」
パンをかじりながら胱月院は呟いた。
「…そんなの俺が聞きたい」
「だろうな」
真咲はペットボトルを開けた。
何故かいつもより少し硬い。
「前にも言ったと思うが、俺はわからないものを解らないままにしておくことが嫌いだ」
「んー…、確かにそんなこと言ってたな」
「目の前でそれが起こればなおさらだ」
………。
すごく嫌な予感がした。
「…へー。時と場合によってはすごくいいことだと思うよ。研究者向きで」
「解明する」
気持のいいほどきっぱりと断言した。
しかし、いったいどうやって?
だって…、相手はアレだぞ。
「…どうやって?集団催眠とかじゃないの?」
「まずそれはないな。何の情報もない時点で、お前が単独でフクロウを見ている。次に俺と所古写真や実物を見た。
それだけなら集団催眠の可能性はあったが、物的証拠が残っている。公園にあったの覚えているな?」
「うん…、まぁ…」
「俺たちに集団催眠をかけ、周りを破壊する。頭のイカレた暇人ならともかく、そんなことは普通しない。
もしそれをして喜んでいる馬鹿野郎がいるとしても、今回や公園で俺たちにはそんなこと出来ないはずだった。ほとんど突発でやってたからな」
胱月院は紙パックのジュースをすすった。
そして新しいパンの袋をあける。
「それに、俺たちだけに仕掛けて、何故他の連中に仕掛けない?催眠にかかっているところを見るのが好きならもっとあのフクロウの目撃者はいたはずだ」
「確かに…」
「だが、目撃者はいない」
誰一人として。
「俺としても納得できないし、幾つか疑問も残るが、あのフクロウは人の仕掛けで動いているのではない、と考えるのが一番素直なんだろうな」
そこまで言って、胱月院は紙パックを畳んだ。
飲み終わったらしい。
「そんな非現実的な…。ここまでいろいろ考えてたのが、無意味みたいじゃん」
「無意味じゃない。考えた上での結論だ」
「なおさら どうよ って思うんだけど…」
口ではそういうものの、真咲はずっと思っていたのだ。
あれはきっと人が作ったものじゃないのだろう、と。
でも信じたくなくて、否定してほしくて。
そんな時に胱月院と所古が目撃してくれて、所古はともかく、胱月院なら真っ向から「馬鹿馬鹿しい」と切り捨ててくれると信じていたのに。
心の中ではがっかりしていた。
あっぱりあれは現実なのだ、と。
「もたもたしていると中間試験が始まる。俺はテストだからと特別に勉強するような真似はしないが、お前らは一夜ずけとかしそうだからな」
「それが普通の学生なんだよ。お前が希少種なの」
「そう考えると時間がない」
真咲は食べ終わったパンの袋を肩結びにした。
これが昔からの癖なのだ。
「お前は転校してきて初めての試験だったな?」
「うん、そうだけど」
「前の学校はどうだったかは知らないが、ここの試験は生温くはないからな。試験の準備期間も10日とられ、その間午後の授業は全面カットになる。
前日は休校だ。その意味、わかるだろ?」
「…マジ?」
「ここでお前を騙して何になる。だいたい、騙すなら普通は「簡単だ」とかいうだろ?」
「そりゃ…、そうだけど…」
「ちなみに、今俺たちの学年には年上の同級生が数人いるからな」
「…あのさ、胱月院って確か頭良かったよな」
「悪くはないな」
「そのお前は定期テスト難しいと思ってる?」
「まぁ、それなりにな。その辺のトップレベル模試ぐらいはあるんじゃないのか?」
「…言いたくなければいいけど、胱月院の成績ってどれくらいあんの?」
「校内だと、3位から下には落ちたことないな」
「…ちなみに全国偏差値は?」
「75、6くらいか?」
…シャレにならない。
だが、ここでさんざん脅されたのは、確かによかったかもしれない。
真咲はいままでテストの数日前から準備をするなどという真似はあまりしなかった。
胱月院の言うように、前日にものすごい勢いで詰め込んで、なんとか乗り切っていた。
しかし、彼の言うことが正しいとするなら、ここでその情報を得られたのはラッキーだ。
今までの生活を考えると、そうとう気が乗らないが、本気で留年がかかるならそんなことは言っていられない。
幸いまだテストまで日数的な余裕はある。
他の生徒と違って、今までの経験がないのがハンデではあるが、第一の目的は成績上位じゃない。
赤点回避。
奇跡的に編入した高校で、いきなり高得点なんか狙わない。
全て平均点取れれば上々だろう。
今まで勉強は好きではなかったが、不得意ではなかったので、こんなに心配したのは初めてだ。
「…お前、まさか俺がただ親切でこんなこと教えてると思ってはいないよな」
「…やっぱり何かあるんだな…」
「今晩も駅に潜り込むからな」
ほらきた。
嫌な予感的中。
何故か最近多いこの手の予感は、悲しいくらい外れない。
「はぁ?!お前、馬鹿か?!テスト難しいって言ってたばっかじゃん!」
「俺が頭悪くないともお前がさっき言ったばっかりだろ」
「お前はよくても俺がまずいんだよ!」
「編入試験パスした奴がよくいう」
「あんなのマグレに決まってるだろ!それにしたって、最近ろくに勉強なんてしてないのに!」
「お前はそんなに勤勉なやつだったのか?」
「いや、そうでもないけど…。って、そうじゃなくて!大体、所古とかはどうなんだよ」
「あぁ、あいつは心配しなくていい」
心配いらない?
胱月院が認めてるってことは、実は見た目によらず相当優秀な奴なのかもしれない。
隠れてやってるんだろうか。
パッと見て、勉強できそうなやつが頭いいよりも、馬鹿そうに見える奴が頭よかったらかっこいいもんな。
「あいつは夜中に出歩こうが、出歩くまいが、赤点は確約されている」
「え?!だって、あいつ俺と一緒で初めての定期テストだろ?初めてって、だいたい簡単じゃん。中学内容で」
「ここは花一(花山院大学付属第一高等学校の略称)だぞ。そんな生温いわけないだろうが。洗礼は初めに受けるものだ。
毎年一年は半数は追試になってる。あいつが逃れられるわけがない」
「そこまでわかってるんなら、助けてやろうとか思わないの?あんなに懐いてくれてんのに」
そういうと、胱月院はちらりと視線を向けた。
「言っただろ。俺は必要以上の関係なんかいらない」
「じゃあ、今のこの状況はどうなんだよ。俺なんかとつるんでさ」
胱月院は真咲の言葉にほんの少しゴミを集める手を止めた。
しかし、それもほんの少し。
すぐに再開されて、帰ってくるのはいつもの言葉。
「今の抱えているフクロウの件にはお前が必要だと判断したまでだ。今後またこんな件はないと思うが、言いきることはできない。
ならばここでテスト勉強の邪魔をして恨みを買うのは得策じゃないだろ」
「まぁ、そういうと思ったけどな…」
真咲もため息をつきながら、ゴミを集めた。
冷たて、二重人格で、ひねくれ者で、何考えてるか全然わからなくて。
なのに、何で俺はこいつといるんだろう。
「午後は体育だからな。早めに行くぞ」
そういって立ち上がる。
そう言えばそうだったような気もする。
確か、バスケだっただろうか。
「ちょっ…、置いてくなよ!」
真咲を置いて、さっさと扉へ向かう胱月院を、真咲は慌てて追いかけた。
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