平日の昼間でも人が消えることのない駅、池袋。
午後4時過ぎともなれば、当然それなりの通行量がある。
人の流れに乗りながら、3人は一路東口地下構内を目指して歩いていた。
「そういえば先輩方、最近東武の地下においしいジェラート屋さんがオープンしたそうですよ。ご存じでしたか?」
「へー、知らなかったな。甘いもの好きなの?」
「そりゃもう、人並みの女の子以上くらいには大好きです!」
「普通の女の子がどれくらい甘いもの好きなのか知らないからよくわからないけど、とりあえずお前が甘党だってことはわかった」
胱月院こうがついんは後ろの2人の会話を聞きながら地下へ続く階段を降りていった。
階段を降りて、右に曲がる。 その右手にかわいい小さな花屋があって所古いこまは嬉しそうな声を上げたが、胱月院はまるっきり無視。
完全に足の止まった所古を引きずって、真咲は急いで胱月院を追いかけた。
人をよけながら胱月院に追いつくと、彼はもう目的のフクロウの前にいた。


いけふくろう。
池袋地下構内にある石でできたフクロウの像の名称。
おそらく、日本で最も有名なフクロウではないだろうか。
池袋の駅は広く、出口も数があるので、恋人や友人との有名な待ち合わせスポットとなっている。


腕を軽く組んでフクロウに真正面から視線を落としていた。
彼としてはただ立っているだけなんだろうが、すらりとしたその立ち姿は嫌でも人目を引く。
今現在だってフクロウの周りにたくさんいる人々の中ではとりわけ目立っているし、その人々からの視線も一身に集めていた。
「こいつだな」
フクロウを見つめたまま真咲へ言葉を向ける。
「え?あぁ…、たぶん」
「はっきりしろ」
「できるわけないだろうが!」
ただでさえあの時は驚きすぎて状況がつかめていなかったし、もしそこまで混乱していなかったとしてもフクロウの像の区別が真咲にできるわけがない。
所古の写真じゃないが、この池袋にいったいいくつフクロウ関連のもがあると思っているんだ。
所古が持ってきた写真の中では「これだ!」と思ったが、実物をみるとあの時の確信が不信へ変わっていった。
っていうか、自分で言うのもなんだが、石のフクロウが動くというのがありえない。
ついでに言わせてもらえば、真咲の証言を受けてさっそくここに来ている事からしてありえない。
そうは思うものの、せっかく来たのだからと真咲は腰を屈めた。
愛らしくでっぷりしたころころした、という感じではないのがこのフクロウ。
右から左からとじっくり見てみるも、けっきょくよくわからない。
とりあえず、
「……」
周りの視線が痛い。
基本的に他人に干渉しない人が多いのが東京というところだが、地元の高校生がいけふくろうをじろじろ見ていたら、さすがに胱月院とはまた違った理由で視線を集めることになる。
案の定ちらりちらりと向く視線がちくちくする事態となった。
それを感じて急いで体を起こすと、視線もものすごい速さで散った。
「どうですか?!」
きらきらと目を輝かせて聞いてくる所古には悪いが、結局何もわからない。
「いや…、悪いけど特には…」
「そうですか…」
しゅんとする姿は叱られた小動物のよう。なんだかものすごく悪いことをしたような気がしてきてならない。
つい頭の中であの夜の事や今行った検証を思い返し、もう一度大丈夫だと確かめた。
有名な待ち合わせの場所なだけあって、フクロウの周りの人の入れ替わりは激しい。
もう今この場にいるのは来たときにいた人と全て入れ替わっていた。
「なぁ 胱月院、いつまでもこんな所にいても仕方ないし帰ろうよ」 声をかけたが反応はない。彼を見ると、何か持っているようで、それをじっと見つめて何か考えている様子。
「胱月院先輩?」
所古の呼びかけでようやく顔をあげた。
「馬鹿馬鹿しいとは思っていたが、ここにきて正解だったかもしれないな」
「何の事だよ。っていうか、お前が行こうって言ったんだろうが」
「場所を変えよう」
そう言ってくるりと背を向けて歩き出す。
人の話は聞かないし、質問にも答えないし、なんだか知らないけど自分だけは何かわかったみたいだし。
胱月院ってわからない…。
「待ってくださいよー」
所古が胱月院の後を小走りに追う。その姿を見送って、真咲も2人が向かった方へ歩きだした。







「いらっしゃいませー」
やって来たのは近くのとある喫茶店。1番奥の角の席に行き、胱月院、その正面に真咲、真咲の隣には所古が腰を下ろした。
真咲と胱月院はコーヒーを、所古はウーロン茶を注文した。
「何かあったんですか?」
そうそうに口を開いたのは所古。その瞳は少なからず期待の色が滲んでいる。
「フクロウの足元に紙屑かみくずがあった」
「そんなのどこにでもあるじゃん」
「ただ汚いだけならな」
胱月院は机に1枚の紙屑を置いた。しわくちゃになったビラがきれいに畳まれている。
「何これ…」
そのビラは妙な破れ方をしていた。
隣から覗き込んだ所古は へー と感心したように声を上げた。
「恐竜さんが踏んだみたいですねー。最近のチラシは工夫してます」
そんなわけあるか。
もしそうならそのば場所をあけて文章を書くだろう。しかし文面は妙なところで切れているし、半分削れている文字もある。
何か上からとがったものでえぐったようで、突起しているところの皴はいっそう他の部分よりも多く、集中している。
「かぎ爪でも使ったように見えないか?」
「見えるけど…。まさかお前、これで公園で上から降ってきたのはあのフクロウだなんて言うつもりじゃないよな」
あの場所は人の通りも激しい。このチラシだってどこからか飛ばされてきただけの可能性も高い。
というか、そもそもあのフクロウが公園まで飛んで来たっていうことを、まず認めなくてはならなくなる。
「歌舞伎町でも例のクレーターが発見された事は覚えているな?俺があの場に居合わせたことも。 あの裏道はアスファルトを流したばかりで、あの日もまだ完全に乾いていなかった。人が通っても問題がない程度には乾いていたがな。 中が半乾きのアスファルトだから、周りに走る亀裂事態は小規模だった。だが、亀裂が小さいからと言って衝撃が小さかったわけではない。 しっかりなかまでえぐれていた。さっき確かめたが、あのフクロウの足にわずかだがアスファルトが固まっていた」
それって、普通は通行禁止とかになるんじゃ…、という言葉はぐっと喉の奥に押し込んだ。
コーヒーと紅茶が運ばれてきた。アンティーク調のカップは店の雰囲気にあっていて、よりオシャレに見える。
所古はそれにじゃんじゃん砂糖を放り込んでいく。もちろんあっという間に飽和した紅茶の底には溶けきれなかった砂糖の山が築かれている。
真咲はほんの少しの砂糖とミルクを入れた。
胱月院は何もいれず、そのまま一口カップに口をつけた。
「俺のもっている情報を繋げるとあのフクロウが動いたことになる。俺の常識・思考としてはナンセンスもいいところだが、この可能性を否定できる証拠もない。 否定しているのはあくまで個々の中にある固定概念だけだ。それにこれ以外にも考えられることがないわけじゃないが、そこまで考慮していると年の単位で時間がかかる。 なら、どんな低い可能性でも今出ている答えを確かめる方がいいと思った。それだけだ」
そうは言われても…。
真咲には胱月院の言う「これ以外に考えられること」がわからないが、彼がそう言うのだからきっと本当に際限なくなってしまうのだろう。
しかし確かめると言ったって、石のフクロウが動くかどうかなんてどうやって調べればいいのだ。
「確かめるって言ったって、どうやるんだよ。さっき言ったときは普通の石像だったのに」
ただでさえ己の中の声が馬鹿馬鹿しいと言っているのに。
「監視カメラは駅の地下にも設置されているはず。終電を終えればシャッターも閉まる。もしあのフクロウが動いて夜中に飛び回っているなら、カメラにも映っているはずだし、シャッターにもどこかしらにそれなりの破損が見られすはずだ。 監視カメラはともかく、シャッターが壊れていればそれなりに報道されすはずだが、それもない。フクロウが動くと仮定した場合、どこかに抜け道があるとするなら、そこから出ているはず。 公園で見たのがお前だけという点を考えると、石像そのものが出た可能性は低い。それなら俺や所古も確認しているはずだからだ。 そうなるともうほとんどオカルトの世界だが、物質的なものではなく精神的なもののような物が出たと考えられる」
「…一見理論立てて説明してるようだけど、何だかな…」
「つまり、フクロウのお化けですね!」
所古は最初の方は興味津々で嬉々とした声を上げた。
こいつ、さっきまで底に沈んだ砂糖ばっかり食べててほとんど話なんか聞いてなかったくせに…。
だが、彼の話は、簡単に言ってしまえば「いけふくろう」のお化けのようなものが飛び回っている、ということ。
もう怪談というより都市伝説。
「飛び回る生きたいけふくろう」なんて聞いたこともないけれど。
「出没場所が不特定だから、待ち伏せはまず不可能だな」
胱月院は優雅にコーヒーを口へ運んだ。
確かにそうだろう。真咲のアパートの前の道路から歌舞伎町まで。人通りの多いところから少ないところまで、範囲が広すぎる。
待ち伏せてその場を抑えることが無理なら、その他に打てる手なんて…。
「…まさか駅で動き出すまで張り込む、とか言い出さないよな?」
「張り込みですか?!黄泉もやります!」
何にもわかっていない様子の所古。ただ「張り込み」という言葉に反応しただけのような、そんな感じだ。
しかし胱月院も否定しないところを見ると、きっとそう考えていたんだろう。
慌てて否定に入ったのは真咲だけだった。
「ちょっ…、いくらなんでもそれは無理だろ!監視カメラとかさっきお前も言ってたじゃん!セキュリティーばっちりやってそうだし! 隠れてても見回りの人に見つかるのがオチだ!」
「監視カメラや警報設備など、所詮しょせん電気で動く科学の塊だ」
「科学の結晶の情報化社会に真っ向から喧嘩売るなよ!っていうか、その前に犯罪じゃないのか?!」
「程度によるが、今回は俺の手には負えないだろうな。蛇草はぐさには俺から話をつけておく」
それは「蛇草ならそのセキュリティーも突破できる」という意味だ。
前は爆竹に強化改造でもしたようなものを所古は渡されてたし、いったい何者だ。
「あいつにもそれなりに準備がいるだろうから、決行は金曜。集合は午前0時に十条のアパート前」
「了解です!」
「それで何で俺ん家の前?!」
「それから、」
付け足すように胱月院は真咲を見た。
「今回はお前がいないと意味がない。絶対に出て来い」
「拒否権もないのか…」
拒否権など、彼相手の場合は初めから存在しないのだろうけど。
ついでに真咲の性格上、よほどのことがない限り頼まれたことをすっぽかすようなまねはできないということも知ってだろうけど。
胱月院はすくりと立ち上がって伝票を手に取った。
「俺はこれから蛇草のことろに行く」
そう言って席から去ろうとする胱月院を真咲は慌てて止めた。
「待てよ。伝票持って行くなって。割り勘できないだろ」
「これくらい出してやる」
胱月院は真咲の腕をはがしてレジへ向かった。
その姿を見ながら真咲はため息をついた。
「どうしたんですか?」
「いや、悪いことしたなって。明日学校で払おう」
「無駄だと思いますよ?胱月院先輩は受け取りませんよ」
「何で?東京には交替で奢るっていう暗黙のルールでもあるの?」
「黄泉が知る限りではそういうものは聞きませんけど…。普段とか、学校のクラスの皆さんとどこかに行く時とかは割り勘なんですけどね。 たまに気まぐれで奢ってくださるんです。一応次の日にお金持ってクラスに行ったんですけど、受け取ってくれないんです」
「へぇ…」
でも、明日学校に行ったら絶対に言おう。俺の良心がチクチクしてる。
下を向くと、まだカップには半分ほどコーヒーが残っている。そこに映る真咲はゆらゆら揺れていた。
真っ黒な水面の中で。




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