翌日、真咲の心配などまるでなかったかのように所古いこまは登校した。
しかも、
「おはようございます、十条先輩!」
「……」
再会は真咲の教室で。
加えて言うなら、前回同様鞄をもったままの、明らかに自分の教室へ行く前の状態だった。
「鞄ぐらい置いてから来い」
隣で椅子を引く音。
胱月院こうがついん先輩もおはようございます!」
「おはよう」
いつものように鞄をおろして椅子に座る。
筆箱と一時間目の道具を出して、手出物の確認をする。
その作業は流れるようで、ほかのどの生徒よりも手際がいい。
ちらりと真咲を見やる瞳は語っていた。
『言っただろ』
と。
「それで?今朝は何の用だ」
話を促すと、所古は弾かれるように嬉々として話し始めた。
「先日の調査中に十条先輩が少々トラブる事態に陥りました。その際に‘ふくろう’とおっしゃっていたの覚えていらっしゃいますでしょうか」
「まぁ…」
「あぁ」
絶対その話題に行くとわかっていても、やっぱり自分がパニックった時のことは話されると少なからず恥ずかしい。
そんな真咲をわかっていない所古と、わかっていて何も行動を起こさない胱月院で話は進んでいく。
「黄泉は蝋燭でできたお洋服かと思ったんですけど、よく考えたらその少し前に鳥のフクロウの鳴き声が聞こえるとおっしゃっていたのを思い出したんです」
しゃがんで鞄をがさがさと漁る。また何かを探しているようだ。
「普通の鳥さんならあったかいですよね。でも十条先輩は‘あったかくなさそうな’っておっしゃってました。黄泉はいままで池袋でフクロウにあったことがありません。黄泉があったことあるフクロウさんは、池袋にたくさんいる人工的なフクロウさんたちです」
立ち上がって手の中で何かの操作をする。
「人工フクロウさんもたくさんいますよね。それで十条先輩がどのフクロウさんとお会いしたのかなと思って」
そしてそれを2人に差し出した。
「いっぱい撮ってきました!」
差し出されたのは小型のデジタルカメラ。
東口のいけフクロウ、マンホール、街頭上、大学の前まで様々なフクロウがおさめられていた。
デジタルカメラを受け取り操作していた胱月院は、感心したようだ。 横から真咲も覗き込む。ほとんどが知らないフクロウの写真。本当にこんなにこの街にフクロウのオブジェがあるのかと疑ってしまうほどだ。
「よくこれだけあつめたな」
「頑張りました!」
胱月院の言葉を褒め言葉にうけ取って、得意げにふんぞり返る。
「本当は午後は学校行こうと思ったんですけど、1日かかっちゃいました」
…1日かかった?
「お前これ撮ってて昨日休んだのか?」
「はい!」
元気よく肯定されて気が抜けた。
サボるやつにはそれぞれ空いた時間の潰し方はあるがろうが、まさか1日中フクロウの写真撮っていた奴はそういないだろう。
「そうだ、十条先輩、いろいろ大丈夫ですか?」
最後におまけみたいに心配されたし。
「こいつは問題ない」
「よかったです!」
胱月院の返答に喜ぶ所古。正直気持としては微妙な感じだ。
「それで?どれだ?」
そう言ってデジタルカメラを見せる。
写真を次々とスライドさせていく。
違う…、違う…、これどこだよ…、これ明らかにフクロウじゃないだろ。
その中に見つけた。
「これ!」
あの夜のフクロウだ。
「これはどこのフクロウだ」
デジタルカメラの映像を所古に見せる。覗き込む所古。
「えーっと、これはたしか池袋の東口ですよ。皆さんがよく待ち合わせに使う、通称イケフクロウです」
そう言われるとそう見えるが、いくつもフクロウの画像を見続けると1番有名なフクロウもマイナーなフクロウも区別がつかなくなる。
それは胱月院にも当てはまるようだ。
「なら今日は夜の調査をなくして、放課後このフクロウを見に行くか」
「了解です!」
「まだその調査続けるのかよ!」
「当り前ですよ。まだ謎は謎のまんまなんですから」
「別にいいだろ?知らなくてもいいこととか、知らないほうがいいこととか、あるだろ?」
「それを決めるのはその事柄を知っている人物のみだ。俺から言わせればそんな忠告大きなお世話だな。知らなくていいことも知らない方がいいことも、俺が判断することだ」





キーンコーンカーンコーン……




ホームルームの予鈴が鳴り響く。
所古は慌てて鞄をしめた。
「それでは先輩方、黄泉はこれにて失礼します。残念ながら、黄泉は本日委員会の会議がありましてお昼休みはご一緒できないんです」
「わかった」
「では放課後にお迎えにあがります」
「いや、校門にいろ。俺は少し生徒会に顔だしてくる」
「了解しました」
ぺこりと一礼して、所古は小走りに教室から消えた。
教室に遅刻すれすれで走りこんでくるクラスメイトが何人か。ほとんど差もなく担任の鬼貫おにつらも入ってきた。
やっぱり今日も普通には帰れないのか…。
連絡事項に耳を傾けながら、頭の隅でこの件からの撤退を諦めた。














放課後を告げるチャイムが鳴り響く。今日も1日の授業が終わった音色。勉強が嫌いな人には、さしずめ喜びの歌というところだろうか。
部活に所属していない者、部活が休みな者、事情があって帰る者。
たくさんの生徒たちが校門をくぐっていく。
待ち合わせしている者もいる。
彼女を待っている者、はたまたその逆。友人を待っている者。
その中の1人に真咲はいた。
我ながら何でいつも、こうも付き合ってしまうのだろう。わかってはいてもなかなか治るものではない。
ため息をひとつついて空を見上げた。
風はそれほど強くないので雲の流れは比較的ゆっくりだ。春と呼べる時期も過ぎた5月の空は青く蒼く空気まで澄んでいる。
引っ越してくる前の高校の時、真咲は地元の高校ではなく、少し離れた高校を受験した。せっかくの機会だし、新しい世界を見てみたかった。新しい友達と新しい生活をしてみたかったのだ。
片道1時間ちょっとの通学だったが、ほんの少しの間ではあったが、真咲は新しい友人も新しい生活にも十分満足していた。
以前通っていた高校にももちろん少し変わったやつはいたが、胱月院や所古のレベルはいなかった。東京は広い。いや、世界は広い。
まだ引っ越してきてそんなに日数は経っていないのに、忘れがたいような思い出はものすごい勢いでできていく。銀行強盗、紐なしバンジー、そしてフクロウ。
何なんだ…。この毎日。

「せんぱーい!」
呼ぶれて振り返る。所古がぱたぱたと走ってくる。げた箱から肛門までおよそ70m。
以前縦に上るものはだめだと言っていたが、走るのはどうやら大丈夫らしい。
真咲の隣に並んだ所古は息ひとつ乱してはいなかった。
「すみません。お待たせしました」
「別にいいよ。お前も何か用事あったんだろ?」
「はい。しかも午後になって突然ですよ。午後1番の授業は黄泉の担任の岩鼻いわはな先生だったんですが、急に放課後に用があるからと職員室に呼び出されたんです。結局呼ばれた理由は分からず仕舞いでしたが」
「それにしちゃ時間かかったじゃんか」
「はい、職員室で先生とお話していましたから。何でも黄泉だけ進路希望調査票提出ていないそうなので、至急提出するようにと釘を打たれました」
「めちゃくちゃ呼び出された理由わかってんじゃんか。ついでにこの場合の「釘」は打たれるんじゃなくて刺されるんだからな」
「似たようなもんですよ」
「そうか?」
進路希望調査票か…。
そういえば最近書いた気がする。
近年受験が激化し、「受験戦争」という単語もずいぶんしっくりするようになったと、受験生の真咲も思う。
花山院大学付属第一高等学校は名門といわれる大学の付属高校とはいえ、外部の大学を受験する生徒も多い。
そんな生徒の希望にも対応できるだけの授業はしているし、実際の卒業生たちの進学状況は進学校といわれる高校では羨むだろうというほどだ。
そんな学校はさぞつらい生活をするんだろうと思われるが、大方の人は基本的に高校生活は1度しか送らない。 そうすると他の学校と比較することができないため、ただ単に「大変だな」と思うだけでたいていは終わる。 真咲もそのひとり。 大変だとは思うが、何とかならないでもないし、むしろ受験のレールを敷いてもらっている分安心だし楽だと思っている。 それにしても、1年生のうちから進路調査なんて、都会の私立は違うな。 「そういえばさ、」
前を向いたまま真咲が口を開いた。
「胱月院って生徒会に入ってたんだな。知らなかった」
「そうですよ。しかも会長さんです」
「あー…、そんな感じする。誰かの下につくの嫌がりそうだもんな、あいつ。特定のやつ以外には愛想いいらしいし」
「前回の選挙ではぶっちぎりでしたよ。完璧に先輩のひとり相撲でした」
「それを言うなら‘ひとり舞台’な」
目の前を制服を着た少女たちが通り過ぎていく。そらく中学生だろう。 その顔だちは個人差はあるものの、まだあどけなさを残していた。
あどけないという点でいえば、高校生な割に小柄で幼顔な隣の少し変わった少女もいい勝負かもしれない。
「でもさ、立候補するようなタマじゃないだろ?あいつ」
「うちの高校は生徒会選挙の際に、3年生を除く各クラス最低1人は立候補者を出さなきゃならないんです。それで眉目秀麗、学力優秀の胱月院先輩がクラスの大多数の生徒に拝み倒されて出馬することになったんだそうですよ」
その様子は想像に難しくない。
転校してまだ1ヶ月もたっていないが、2−4の中心は胱月院だというのは感じていた。
人を寄せ付けないバリアーのごとく教室では常に教科書を含む何らかの本を開いているが、話かけられれば嫌な顔もせずに話を聞くし、頼まれたことがあればそれがどんな量であっても1つの漏れなく完璧に期日までにはこなす。 成績も優秀で、人より多くの事に気づき、教師からの信頼も厚い。
“何かあっても、とりあえずあいつに言えばおけば大丈夫”
胱月院司という男はそういうポジションにいるのだ。
これが本人の言うとおり何かの演技なら、名女優ばりにたいしたものだ。
「あ!来ましたよ」
昇降口の方に目をやると、すらりとした美形男子生徒が歩いてくる。
所古が名を呼びながら手を振ると、顔をあげた胱月院。
「待たせたな」
「お待ちしていました!」
脇を通り過ぎていく生徒たち。彼に声をかけていくものも多い。その1つ1つに丁寧に対応しつつ歩きだした。




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