午後10時。
終電まではまだずいぶん時間があり、しかし帰宅ラッシュは過ぎた頃。
しかしといって、やはり人通りの多いことには変わりない池袋駅。
老若男女、性別も人種も年齢もばらばらな人々。ごった煮とは言い得て妙だとつくづく思う。
そんな中、一際不機嫌な面を下げて池袋の駅前を歩く1人の少年。
彼、十条 真咲は自宅アパートを出てからというもの、ずっと嫌気がさしていた。
強引な同級生や後輩、そして散々嫌がっておいて集合場所に、しかも集合時刻をきっちり守って行ってしまう自分に。
出てくるのはため息と後悔と。
人がいいとか、もうそんなモノは越えている気がする。
そうは思っていても帰れない自分の性格が嫌になる。
「………はぁ…」
自宅から何分もかからないいこの場所までに、既にもう何回ため息をついたやら。
「あ、十条せんぱーい!」
待ち合わせの相手の1人である所古の声にうつむき加減だった顔を上げる。
視線の先で大きく手を振っていた。
ピンク色のパンプスにデニムのパンツ。黒いネックカットソーに、クリーム色のミリタリーコート。
ブラウンのショルダーバッグをたすきにかけて、胸元には銀色のネックレスが揺れていた。
「胱月院は?」
「まだ来てません。何処かで迷子になっちゃってるんですかねー」
「誰が迷子だ」
後ろから聞こえてきた不機嫌な声。そこには噂のその人、胱月院が立っていた。
デニムのストレートパンツ、黒いショートトレンチコートのしたには英字のプリントがあるカットソー。
ブラウンのサイドコアブーツ。
こちらも胸にはジルバーアクセサリーが光っていた。
一言で言うと、2人ともオシャレ。これは以前所古の私服を見た時も思った。
東京で生活していると、こんな風になるのだろうか。
更に言わせてもらうと、胱月院なんか、なんとなくリッチな雰囲気がぷんぷんしている。
早くも場違いな気がしてきた真咲。
「メンバーも揃った事ですし、さっそく動きましょう。まずどこ行きますか?」
「そうだな…。その謎のクレーターってのを見てみるか」
「了解です。ここからですと、銀行が一番近いんですが、入れませんよねー。
そうしますと十条先輩のお宅の近くが一番近いですかね」
「は?俺ん家の?」
よりにもよって。
猛抗議したくはなったが、どうせ話など初めから聞いてくれる2人ではない。
別に家に上がるワケでもないし、家の前の道路に用があるわけで、その道路は真咲のものではなく公共のもの。
真咲がとやかく言う資格はない。
「では移動しましょう!」
所古が歩き出す。続いて胱月院。最後に真咲。
もちろんこれは自ずとこの件に興味がある順になってしまうのは仕方がない。
車のライトや信号機が少なくなってくると、辺りを照らすのは所々にある街灯と住居からの光になる。
それでも薄暗い中を3人は歩いていた。
1番前は遠足にでも向かうような足取りで。
2番目はただ淡々と。義務的に。
一番後ろは渋々と。仕方なく。
「なぁ」
速度を少し上げて、真咲は前を行く胱月院に声をかけた。
「何だ」
酷く短い返事が返ってきた。
「もしかして胱月院も俺のアパートの場所知ってたりすんの?」
「そんなことか…」
ふぅ と小さな、しかし、隠しもせずに胱月院はため息をついた。
だが、真咲にとっては‘そんなこと’では済まされない。
「お前にとっては‘そんなこと’でも、俺にとっては‘そんなこと’じゃ済まないんだよ。
どっかで情報漏れてんのか?今後の事もあるし、何かあったらまずいだろ?
そうでなくても教えてもいないヤツが家の場所知ってたりしたら気持ち悪いし、気味悪いし、怖いじゃんか」
「まぁそう思うだろうな、普通は」
「お前な、他人事みたいに…」
「他人事だろ」
しれっと言い放つ胱月院。
それはあくまで淡々としていて、まるで教科書でも朗読しているかのよう。
さすがにその言葉には怒鳴りそうになったが、真咲が口を開く前に胱月院が開いた。
「自分以外はみんな他人だ。知人、友人、家族も例外にはならない。
血が繋がっていようがいまいが、所詮分類は‘自分’と‘それ以外’しか人間は出来ない生き物だ」
ちらりと横目で除いた瞳は何も映してはいなかった。
当たり前の事でも口にしているかのように、堂々と、さして興味もないようだ。
反抗期特有の親や大人への反抗的な態度や、そこから発生する暴言を吐いたようにも見えなかった。
「安心しろ。お前の個人情報は何処かの闇ルート回ってるわけじゃない。そこらの家庭程度のセキュリティは働いている。
だだ漏れってことじゃない」
「………でもお前知ってたんだろ?」
「あぁ」
「やっぱり」
「そこに事実がある以上、どこにも情報が流れない方が不可能だ。
知りたければ調べる。調べて見つからない事の方が今のご時世少ないんじゃないのか?」
「いや、そうでもないだろ」
「お前の場合、別に俺は調べてない。先日テレビを見ていたらお前が映っていたからな。だいたいの検討はついていた」
ちょっと思い出してみる。
確か、家の前に変なクレーターが見つかった日、大勢の野次馬の中にテレビ局のカメラが何台かあった。
カメラ向けられて逃げたんだっけ。
「あれ放送されてたんだ…」
まだカメラ回す前だと思ってたのに
しかも、半月も通っていない高校の隣の席の奴が判別できる程度にはクリアだったようだ。
両親が見ていないことを祈るばかり。
「せんぱーい」
前方を見ると、所古が歩みを止めて振り返っていた。その先には自分のアパート。どうやらもう着いてしまったらしい。
「ここですよ」
赤いコーンが丸く周囲を囲み、青いビニールシートがその中を覆い隠している。
警告灯がくるくる回りながら赤い光を放つ。
「クレーターっていうより、何かの事故後みたいですね」
「似たようなもんじゃないのか?原因は分かってないんだし。…って、何やってんだよ胱月院!」
胱月院は真咲の隣を抜け、赤いコーンを跨ぎ、ビニールシートをさっさとめくっていた。
「調査に決まってるだろ。何の為に俺がわざわざ来たと思ってるんだ」
「調査って…」
いちいち態度のでかい…。
「そうでした」
所古もコーンを跨いで胱月院の隣にしゃがみ、めくったシートの下をのぞき込んだ。
辺りを見回す。
足音もしなければ話し声もしない。とりあえず近くには誰もいないらしい。
ココまで来てしまえば腹をくくるか。
あんまりご近所付き合い親密ではなさそうだという事はわかっているし。毒を食らわば皿までだ。
真咲もコーンを跨ぎ、所古とは反対側の胱月院の隣に腰を下ろした。
どうかココを誰も通りませんように。
「これくらいじゃやっぱり何もわからないな」
隣で胱月院がぽつりと零した。
確かにそうだ。
胱月院がめくったシートの幅は、はほんの1m程度。
アスファルトに亀裂が入っている事は分かるが、大きさや程度など全くわからない。
おまけに辺りも暗いため、いっそう分かるものもわからない。
「所古、シートを全てめくれ」
「おい、いくら何でもそれは…!」
「了解しました!」
待ってましたとばかりにぴょんと立ち上がって、勢いよくシートを全てはがした。
シートがばさりと大きな音をたてる。
慌てて真咲は周囲を見回した。
「めくるにしても、もう少しやり方ってもんがあるだろ!?」
「えー?そうですか?」
「あぁもう、どうするんだよ。これ元に戻せるのか?」
ぐちゃぐちゃになったシートが真咲の視界の端で小さな山を作っていた。
2人のやりとりなど無いように、さっさと検証作業に入っていたのは胱月院。
「暗いな…」
そう言ってポケットから取り出したのはペンライト。
「ずいぶん用意いいな…」
「こんな夜に調査するなら明かりを持って行く方が普通だ」
「そりゃそうだ…」
「あ、黄泉も持ってますよ」
ショルダーバックをガザガザ探って懐中電灯を取り出した。
胱月院は所古の懐中電灯を借り、ペンライトをしまって調査を再開した。
道路の損傷はそれなりのもので、これを一言で表現するなら確かにクレーターが一番しっくりくる。
中心はアスファルト自体がなくなっていて、したの地面がむき出しになっていた。
そこを中心に直径2.5,mほどが蜘蛛の巣のように亀裂が走っている。
中心に近いほど破片は細かく、また完全に地面からはがれているものも多い。
逆に中心から離れるほど1つ1つの破片は大きく、亀裂はあるもののはがれてはいなかった。
「何だろ…、上から固いものでも落としたみたいな…」
「恐らくそうだろうな」
ほとんど独り言のつもりだった真咲の言葉に答えたのは胱月院だった。
「しかもこれだけえぐられてるとなると、相当な高さからかなりの質量のものを落としたんだろう。
周囲にはアスファルト以外の破片は見られない。
どこにでもある石とか、鉄、もしくはそれに代わる固いものが考えられるな。
中心は円状に固まっているから、恐らく突起物などのない丸いもの…」
ぶつぶつと検証していく胱月院。その姿はまるでドラマの探偵のよう。
「質量か降下された高さ、もしくは材質がわからないとこれ以上はわからないかもな」
そう言ってすっと立ち上がった。そしてかかっていた時よりもかなり乱雑にシートをかけ直した。
「全てが同じものによるものかは見てみないとわからない。次行くぞ」
「はぁ?!ちょっと待てよ。もうこんなに時間遅いんだぞ?俺はともかくお前ら親とか大丈夫なのかよ」
適当にかけられたシートを丁寧に尚しながら真咲が言った。
もちろん本当に思った事だが、この言葉の裏には「もう止めて帰ろう」という意味が含まれていた。
所古は初めから期待していないが、胱月院なら裏の意味まで感じ取ると確信して。
「黄泉も大丈夫ですよ。今日はお友達のお家に泊まるって言ってきましたから」
無邪気に笑う。やっぱりこいつは真咲の含みには毛程も気づいていない。
「俺も親元を離れているからな。問題ない」
やっぱりか…。
真咲はがっくりと肩を落とした。
もしかしたらの期待を込めて言ったのだけれど、期待は期待のまま終わってしまった。
明日も学校あるのに…。
「安心しろ。今日はもう一カ所行ったら終わりだ。明日も学校があるからな」
うなだれた真咲の上から降ってきた言葉。
横からは不満げな声も聞こえてきた。
胱月院の言葉は真咲のさっきの言葉、今の考え、感情まで分かっているかのようだ。
いや、絶対分かっている。こいつに限っては絶対確信犯だ。何故か確信があった。
このままこの2人の興味が尽きるまで付き合わされてしまうのだろうか。
そうなるなら、それは一体いつになるのだろう。
歩き始めた胱月院の後をそんな事を考えながら追った。横を所古が走り抜けていく。
胱月院の隣に並んで何かの話をしている。
そんな2人を後ろから眺めながら、前に聞こえないように小さくため息をついた。
むちゃくちゃな2人に、お人好しな自分に、謎のクレーターに。
人通りが少なくなり始めた池袋。眠らないと主張しているかのような光の中、今日も夜は更けていった。
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