午後7時16分。
ネオンが輝く夜の新宿、歌舞伎町。人が人に、金に、女に、男に酔う街。
客引き、同伴、出勤。違法から合法まで。違法は巧妙に、合法はスレスレに。
その中を学生服を着た少年が1人歩いていた。
すらりとした身長は175cm前後といったところだろうか。男性では、高くもなく低くもない。
すっと通った鼻筋、切れ長の漆黒の瞳は深く澄んでる。纏っている雰囲気はどこか危険で、冷たく、魅力的だ。
髪も染めておらず、一歩歩くたびに黒い髪がさらさらと揺れる。
十人が十人振り返るような聡明美形。
現に歌舞伎町に足を踏み込んでから何人が振り返り、何人声をかけてきたのかもうわからない。
羨み、嫉妬、憧れ、色目。
さまざまな視線を一身に浴びながら、しかもそれをさして気にした風もなく、
少年、胱月院 司こうがついん つかさは夜の繁華街を歩いていた。
今は制服だから声をかけてくる数は少ないが、私服やましてスーツなど着ようものなら大変なことになる。
以前知り合いに連れてこられてキャバクラに言ったときは、相手の女性が貢いできた。
数が足りないと頼み込まれ期間限定でホストクラブでバイトをしたら、
わずか1月で店の売り上げの30%を占めるまでになった。
もちろんその後はこのまま続けてくれと何度も頼まれた。
なんとか断り通したものの、その苦労は大変なものだった。
だから知り合いも少なくはない。
学生服で声をかけてくる人の大半がそういう人たちだ。
歌舞伎町を抜けて、少し薄暗く、人通りの少ない路地を行く。
昼間はそこまで人がいないということはないのだが、日が落ちると大きく変わるのだ。
もちろんガラの悪い連中もいるが、絡まれても大概のことはどうとでもできる。
その自信から大通りを行かずにこんな道を通っているのだ。
路地の先。大柄な男が2人いた。
胱月院の足音に気がついたようで、こちらを見つけると互いにいやらしい笑みを浮かべた。
「よお、兄ちゃん」
「学校帰りか?偉いねぇ」
胱月院の前に道を塞ぐように立ちはだかる。
2人とも胱月院よりもずっと長身で、筋肉質。入れ墨やそり込みがいやに威圧的だ。
胱月院は2人の前で足を止めた。
しかし怯えた様子微塵もなく、ただ道でも聞かれたので止まったように。
顔には出さないが、内心ため息をついた。
この街でそれなりに有名な胱月院でも、何故かこういう連中は絶滅しない。
いったいどこから湧いてくるのかと本気で思う。
そんな胱月院の様子など気づくはずもなく、2人は相変わらずの笑みを浮かべ続けていた。
「なぁ 兄ちゃん、俺たちちょっと金に困ってるんだよね。貸してくれないかなぁ」
お約束のようなセリフ。
こんな所を歩いている自分も悪いのだが、それを抜きにしてもかんに障る。
あの人を小馬鹿にしたような汚い笑みも、なめきったような態度も、存在までも。
思い出したくないモノを思い出させてくれる。
そのたびにイライラは増していき、人という種族に嫌気が増すのだ。
「聞いてますかー?」
げらげらと笑う2人。胱月院はまともに相手にする気などさらさらなかった。
いつもの人当たりの良さそうな微笑を浮かべる。
彼の鉄壁の仮面。笑顔の鎧。
「貸してもいいですけど、いろいろ話をしなければなりませんね。利子とか、返済期間とか。
 ちゃんとした書類も準備しなくちゃならないし。もちろんお二人のお名前も住所も控えなければ。
 そうでなければ恐喝になってしまいますからね」
「はぁ?」
2人はわけがわからないように首を傾げた。胱月院は続ける。
「まさか一言話をしただけで親友…、とか今時言いませんよね。今後会う可能性もかなり低いですし。
 俺から取り立てに行くのも何ですしね。借りるのはあなた達なんですから」
「ちょっと待てや」
とりあえず口を閉じた。2人の表情も声色も大きく変化している。完璧に恐喝の態度に。
「俺たちはそんなこと話してんじゃねぇんだよ」
「御託はいいからさっさと金出せよコラ」
おもむろにポケットから折りたたみ式のバタフライナイフを取り出した。
「金出しゃ命だけは助けてやっからよぉ」
「それから、誰にもチクンなよぉ?」
「やっぱりですか…」
内心ではなく、今度は口からため息が漏れる。観念したと思ったのか、2人の態度はますます大きくなる。
これ以上こいつらといたら、何をしでかすかわからない。
胱月院は2人を押しのけて前へ歩き出した。
2人は一瞬驚いたような顔をしたが、みすみす見逃す訳もなく。胱月院の腕を掴んで歩みを止めた。
「あんま調子の乗ってんじゃねぇよ」
「ぶっ殺すぞ?マジでさぁ」
胱月院は2人を振り返った。
しかし、その顔には先ほどまで浮かべていた優しげな笑みはない。
瞳には冷たい光が宿り、纏う空気も人を寄せ付けるようなものではない。
2人も卑下た笑みが消え、その豹変ぶりに恐怖すら浮かべていた。
「離せ」
自らの腕を男の腕から振り払う。男の腕には既に力は入っておらず、大した苦労はなかった。
「人が大人しくしていれば…。調子に乗っているのはどっちだ。いつまでもその汚らしい顔を見ているほど暇じゃないんだ」
胱月院の暴言に、フリーズが解けたかのように2人は瞳に怒りを灯した。
「調子に乗ってんのはてめぇだろうがボケ。死にてぇのか?あぁ!?」
「俺たち怒らせてただで済むと思うなよ!!」
怒りにまかせて怒鳴り散らすも、胱月院は全く動じない。むしろイライラは募っていく。
「俺がお前ら程度に何かされると本気で思うのか?思い上がりも大概にしろ」
「ぶっ殺してやる!!」
2人がほぼ同時に腕を高く上げた。
複数攻撃というのは少しタイミングをずらした方が効果的なのに、そんなことは知らないのだろう。
動きも大きく、隙だらけ。
相手にするつもりはなかったが、腹の虫はかなりご立腹。
ちんぴら程度では鬱憤晴らしにもならないが、何もないよりはマシだろう。
手に持っていた学校指定の鞄を軽く横へ放り投げた、その時。
「ぐわぁ!!」
「ギャア!!」
向かってきた2人が同時に地面に倒れ込んだ。
倒れ込んだのではない、何か上から潰されたような。2人のいる場所だけ重力が何十倍にもなったように。
「なっ…!」
目の前で苦しみ、悲鳴を上げる2人。
自分の目を初めて疑った。
今何が起こっているんだ。
ピシピシと音が鳴る。骨にひびでもはいったのだろうか。一気に声のボリュームが上がる。
「がぁあああぁぁあぁ!!」
猛獣のような甲高い悲鳴を最後に、2人は悶絶した。
注意深く2人の側に寄ってみる。
警戒しているのはもちろん2人に対してではない。目の前で起こった怪奇現象にだ。
2人は白目をむいて泡を吹いている。
背中には何もない。手をかざしてみても何もない。
いったい何だったんだ。



ドン!


鉄球でも激突したような轟音。反射的に音の方を見やる。
それは隣のビルの屋上のようだった。
パラパラとビルの外装の破片が振ってくる。
いくら歌舞伎町といえど、あの音まではかき消えまい。ココに誰か来るのも時間の問題だ。
分からないことを分からないままにしておくのは好まないが、ここで誰かに見つかっても厄介なのは間違いない。
考えても恐らくすぐに見つかる答えじゃないのは直感的に感じていた。
鞄を拾い上げて歩き出す。
ふと先日あった池袋の地下での内鏡うちかがみの言葉が甦った。
何故か、あの言葉が今この状況を、そしてこの場にいたことを指しているような気がした。



『運命の分かれ道だ』

『この街で過ごすこの一年がこれからのあんたを決める。』

『よく考えて生きるがいいさ』

『せいぜい死ぬほど考えながら生きるんだねぇ、司』



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