細い路地を抜けて、真咲まさきでは到底知らなさそうな危ない雰囲気ぷんぷんの脇道を通って、3人は池袋駅の前で解散となった。
もうすっかり暗くなっているし、自分から首を突っ込んだとはいえかなり危険な目に遭っている。
家の近くまで送っていく事を申し出たが、所古いこまは丁重に断った。
山手線で通っているらしく、それもたいした距離じゃないという理由で。
妙に食い下がってもなんなので、真咲は所古の意志を尊重し、送るのはナシになった。
一番の強盗立て籠もり事件の被害者である胱月院こうがついんは何事もなかったかのように
挨拶もそこそこにさっさと電車に乗って帰ってしまった。
そうして、何だかあやふやに解散したのが2日前。
昨日は強盗事件に自ら巻き込まれた事など嘘のように、だらだらと休暇を満喫して過ごした。
ニュースをつければ、まだ強盗立て籠もり事件の鮮度はいいようで、どこの番組もこぞって放送合戦を繰り広げていた。
仕事も速く、犯人達の顔写真、高校時の卒業文集、同級生の証言、専門家を招いてのプロファイリングなど、
内容もどんどん突っ込んだものになっていった。
それを見かけるたびに、先日のことが夢だったような気分になった。
まるで美術館で絵画を眺めているような、
自分がそこに関わっていたのが他人事のように感覚も感情も薄れていくのを感じていた。
巻き込まれたといっても自分から首を突っ込んだからそれなりに構えていられたし、
身動きがとれなかった時間も極短かいものだった。
それに何より死者が出ていない。
それが一番大きかった。真咲の性格もあるだろうが、このため風化は速度を上げていた。
別にそれが寂しいとか、もったいないとか思う訳じゃない。
過去が薄れていかないと進めない時だってあるし、いつまでも浸っていたくはないし、留まっていたくもない。
もちろん、真咲はこんなふうに投げやり且つ小難しく考えているわけではない。
これがいわゆる「時が解決する」というやつか、程度にしか思っていないのだ。
大方の人間は皆そうだろう。こうしてまた日常へと戻っていくのだ。真咲もその1人。
「…よし」
課題はやった。授業道具も忘れ物はないはず。財布も持った。火の元・窓の鍵の確認もした。
部屋から出て鍵を閉める。
強盗事件があっても学校はなくならない。もちろん今日もだ。
アパートを出ると、謎のクレーターが目に止まる。
今は赤いコーンで囲まれ、青いビニールシートで覆われている。
先日まではどこかしらが取材に来ていたのだが、一斉に強盗立て籠もり事件の報道に流れてしまったので、今は誰もいない。
静かなものだ。
いつもの通学路を行く。
通勤・通学の人でごった返す駅。その前をどんどん歩いていく。
千幸時銀行から花山院大学付属第一高等学校まではそんなに距離があるわけではないが、通りが違う。
だから今も取材をしているだろう報道陣も、捜査している検察や警察も、野次馬も何も見ることなく学校へ行ける。
だんだん真咲と同じ制服を着た生徒が増えていく。道の先に、小さく校門が見えた。








ガラガラと教室のドアを開ける。だいたい1/3ほどの生徒がすでに登校していた。
「おはよう」
「おはよう」
かけられる挨拶を返しながら、真咲は自分の席についた。
隣の席に鞄はまだない。まだ胱月院は登校していないらしい。
そりゃ あんな場所にずっといたのでは、強がっていてもそうとう精神的にも肉体的にも疲れがあっただろう。
今日は休みだろうな、そう思ったが、それはあくまで想像に過ぎなかった。
音を立てて開けられたドアから胱月院が入ってきたからだ。
周りの生徒は普通に挨拶をする。それに胱月院は優しく返す。
当たり前の光景だが、真咲はいたく驚いた。何で学校来てるんだ、あいつ。
胱月院は素知らぬ顔で真咲の隣である自らの席に鞄を置いて座った。
「おい、なんで学校来てんだよ」
控えめな声で問いかけた。周りへの配慮だ。
「学生が学校に来ているだけだ。何でも何もないだろ」
「そうじゃなくて、お前病院にも行かず、さっさと帰ってさ。カウンセリングとか受けてないんだろ?」
「それはお互い様だ。お前だって病院にも行かなければ、何のカウンセリングも受けてないだろうが」
「俺とお前じゃ度合いが違うだろ?精神的にも肉体的にもさ」
胱月院は机にノートと筆箱を取り出した。ノートは今日提出用の課題だ。
そう言えば、朝集めるとか担当が言っていた気がする。
朝から机に向かっている生徒が今日は多いなと思っていたが、映しているか、今やっているかだろう。
「別に。悪夢にうなされた訳じゃないし、肉体的な疲労は寝れば治る。まだ十分に若いしな」
「そう言う問題じゃなくてさ。あー、何て言えばいいんだろう」
「わからないなら言うな。横で悩んでる声を出されても鬱陶しいだけだ」
「…お前な、人の心配は素直に…」
教室のドアが勢いよく開けられ、大きな音を響かせた。真咲の言葉も止まる。
そこから教室に入ってきたのが違う学年の生徒なら尚更だ。もちろん、他の生徒達もその侵入者に釘付けである。
しかし、彼女、所古はそんなもの一切目に入っていないようで、真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。
「おはようございます!先輩方!」
「おはよう」
「あぁ…、おはよう」
真咲にはナチュラルに返す胱月院がわからなかった。
「今朝のニュースを見ましたか!?」
バン!と真咲の机に両手をついて、所古は身をぐんと乗り出した。それに伴い、真咲はその分仰け反る。
「今朝のニュース?」
「所古、騒ぐな。大声出さなくてもこいつには聞こえてる」
「それは一応助けてくれてるのか?」
「いや、単に俺が五月蠅いと思っただけだ」
「…そうだよな。そういうヤツだったよな、お前」
おすまし顔で文庫本を開きだした胱月院に内心毒づいてから、所古に向き直った。
「いや、どのチャンネルまわしても強盗事件ばっかりで飽きてきたから、今日はニュース見てないよ」
「では新聞は?!」
「俺新聞取ってないんだよ」
「やっぱりですか」
「やっぱりって何だよ」
「ふふふ、安心してください。そんなこともあろうかと、黄泉はちゃんと新聞持ってきました!」
「…おい、話聞いてるか?」
胱月院の言葉は全く聞こえていなかったようで、ものすごい勢いでまくし立てるように話を進めていく。
しゃがんで何やら鞄をごそごそとあさっている。
「お前さ、もしかして、自分の教室来る前にココに来たのか?」
「ええ、下駄箱から直行です」
「鞄くらい置いてこいよ…」
「ありました!」
ぱっと立ち上がって、真咲の机に広げる。一面はやはりあの強盗立て籠もり事件が大部分を占めていた。
2日目でもこれだけ大きく扱われるなんて、とは思ったが、真咲は見出しに目が吸い付いた。
「『銀行強盗立て籠もりビルに残る巨大破損・爆発の謎』?」
「はい!不思議ですよね。興味湧きましたか?!」
「何でそんなに興奮してんだよ」
「だって、あの銀行にも謎のクレーターが発見されたんですよ?!まさに黄泉達がいたあの瞬間に!」
「ちょっと落ち着け。それから少し読ませてくれ」
「了解です!それではその間黄泉は胱月院先輩と楽しく過ごしています!」
隣からものすごい視線を感じたが、何も気がつかなかったフリをして新聞に目を落とした。



――今月9日、東京都千幸時ぜんこうじ銀行池袋支店で強盗立て籠もり事件が発生した。
  犯行グループは8名。主犯格と思われるのは、鴻島 秀明(36)容疑者。多額の借金を抱えており、金欲しさ
  に犯行に及んだと供述している。その他、犯行に及んだ者はいずれも無職で、理由はいずれも金目的との供述
  している。インターネットのあるサイトで知り合い、鴻島容疑者が犯行話を持ちかけたというが、経緯は目下
  捜査中。
  銀行には、ロビー、倉庫、階段などに何かが焼けたような痕跡が数多く残っているが、正体は不明。これにつ
  いては鴻島容疑者は知らないと関連を否定している。火の気がない場所での焼け跡で、特定の場所が強く損傷し
  ていることから小型の爆弾の可能性もあるとして捜査を急いでいる。
  また、今回屋上に大きな損傷があったことが分かった。千幸時銀行は屋上緑化に取り組んでおり、池袋支店で
  も行われていたが、敷き詰められた15cmほどの土が円形にえぐられていた。直径約2.5mので、中心部の土は
  固く固まり、上から重い物を落としたようである。この日の前後で行われていた工事はなく、またビルに衝突し
  た物体も発見されていない。目撃者もおらず、特徴も一致していることから、最近多発している器物破損として
  捜査される予定である。今回の事件は、強盗・爆弾・連続器物破損事件が絡み合っており、困難な捜査が予測される――





キーンコーンカーンコーン…



学校にチャイムが響く。朝のホームルームの予鈴だ。毎朝ホームルームの開始5分前に鳴る。
「あや!黄泉は、もう行かなくては!」
しゃがんで鞄を閉じ、鞄をもってばっと立ち上がった。
「先輩方、残念ですが黄泉はこれで失礼します」
そして2人にぺこりと頭を下げた。隣の胱月院はほっとしたような、ウンザリしたような顔をしている。
「さっさと帰れ」
「そんな言い方しなくてもいいだろ?後輩なんだから」
「お前がそんな風だから俺まで被害を被るんだ」
「被害って…。人を公害とか災害みたいな言い方するなよ」
もし自分だったら、先輩からそんなこと言われたらかなり凹む。
まだ短い付き合いだが、いくら天真爛漫・幸せ・極楽・能天気な所古でも気にするだろうと思って言ってるのに。
「では。あ、先輩。その新聞は差し上げますから、ゆっくりじっくりたっぷりご堪能ください。また伺います」
言われた本人は聞いていたのかいないのかはわからないが、そう言い残して小走りに教室の外へ張りし去っていった。
真咲が思っているよりも所古の神経は図太いようだ。


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