「待てって!おい!胱月院こうがついん
真咲まさきが肩を掴むと、心底面倒そうに振り返った。
「何だ?お前もトイレか?」
「そんなんじゃねぇよ。お前ずっと捕まってたんだろ?念のために病院行けって」
そんなことか、とまた胱月院は歩き出した。その後を追う。
「行かない」
「まさか本当に病院が嫌いだからっていう理由じゃないだろ?」
「病院が嫌いなのは本当だ」
真咲は絶句した。
これだけ態度でかいくせに、高校生にもなってるくせに、おまけに強盗立て籠もり事件に思いっきり巻き込まれてるくせに!
嫌いだからっていうだけで救急車を拒否するか!?普通!
「お前が大丈夫って言い張っても、親御さんが心配するだろうが!」
「俺の両親が、俺をか?」
くっくっくと、自嘲的な笑みを浮かべる。
「…何がおかしいんだよ」
「おかしかないさ。確かに普通の親なら、子供が何らかの事件に巻き込まれたとなったら心配もするだろうな。
 だが、生憎我が家はそんな愛すべき"普通"の家庭じゃないんだ」
「は?」
後ろからぱたぱたと足音が聞こえる。
「せんぱーい!」
所古いこま
「置いて行っちゃうなんて酷いですー」
ぷぅっと頬をふくらませた。心底不満げに。置いていったつもりはなかったが、現実的にはそうなるだろう。
「ごめんごめん」
「ついてくるのは勝手だが、静かにしていろ。見つかったら面倒だ」
さっさと先を行く胱月院。「すみません」とすぐに謝る所古。見つかる、というのはおそらく警察だろう。
「どこ行く気だよ。トイレならさっきの角曲がればあったのに」
「…お前は本当に馬鹿なんだな」
「なっ…!」
「別に俺はトイレに行きたい訳じゃない。さっさとここから出たいだけだ」
長い、やたらと曲がり角が多い廊下を行く。すでに検察のいる部屋の前を注意深く通り過ぎる。
日が既に落ちているので、ガラスのはめ込まれている造りのドアが作りつけられているこの銀行は、
人がいる部屋といない部屋は外からでもわかりやすい。影が出来るからだ。
「だったら素直に病院行けばよかったじゃんか」
「言っただろ、俺は病院には行きたくない。ここの立地を考えると、運ばれるのはまず間違いなく献勢こんぜい病院だからな」
「いいじゃん、でかい病院なんだし」
あ、と所古が手を打った。
「今日でしたらきゅうちゃんがいますね」
「あぁ。第一、病院なんかに連れて行かれたら、事情聴取やらなんやらでどれぐらい時間を取られるかわかったもんじゃない」
なんだ、いい年して注射が嫌だとか言うのかと思ったのでほんの少し安心した。
「そんなにかかんないだろ」
「いえ、わかりませんよ?犯人が銀行に侵入する際に胱月院先輩を人質にしてたらしいですから」
「それこそ捜査に協力しろよ。裁判の時に貴重な証言になるじゃん」
「俺が言っても言わなくても他にたくさん人質はいた。証言は充分とれるだろ」
「でも、お前のは結構いい材料になるんじゃないのか?
最初に犯人と銀行に入ったんなら、犯人側から銀行内を見ているわけだし」
「そんなの俺の知ったことか」
ぴしゃりと言い放つ胱月院。それもどうだろう。
しかし、また知らない名前が登場。何となく知らない方がいい人なのかもとは思ったが、
何にも知らないのもなんだか引っかかる。
「誰だよ、その久ちゃんって」
「ちょっと変わったお医者さんですよ」
「お前みたいな変人吸着体質なら、会うのもそう遠くないだろうな」
明かりはついているが、影がない部屋を見つけた。胱月院が注意深くほんの少しだけ開けて中を確認する。
中には誰もいないようで、大きく開けて中へ入った。
この部屋は応接室のようで、大きくてしっかりした、高級感たっぷりの皮のソファーが一組。これまた高そうなテーブル。
置いてある本棚も、花瓶も、すべて傷でも付けたら大変なことになりそうなものばかりだ。
窓を開けて、辺りを確認するとさっさと外に出る胱月院。その後に所古も続く。最後に真咲も窓から脱出した。
辺りには誰もいない。こんなに簡単に脱出できるものなのだろうか。
「しっかし…、何でこんなに簡単に抜け出せるんだ…」
「この銀行のオーナーが泥棒に妙に警戒心むき出しで、造る建物全て変な作りになっているんだ。このビルも例外じゃない。
 表沙汰にはなってないが、設計図と実際の建物が違う事も珍しくない。ま、このビルがどうだかまでは知らないがな。
 それに、強行突入かかったから、マスコミは入り口へ詰めかけているだろうから、こっちにはまずいない」
「なるほど。って、何でそんなに詳しいんだよ」
「これくらいは常識だ」
しれっと言い放ちながら、念のために人気のない道を行く。速度を少し早めにしてその場から離れることを優先した。
都心の、それも人の集まる街で人気のない路地を歩くのは正直かなり嫌だったが、仕方がない。
何もありませんように、変な連中に絡まれませんように、と願いながら2人について行った。













「…突入したらしいな」
「……せやね」
「人質は全員無事らしい」
「……そらよかったわ」
薄暗い部屋の中、コンピュータの画面だけが明るく光を放つ。
社員が皆帰宅したこのビルで、この一室だけ明かりがついていては不審なので、カーテンを閉めて蛍光灯もつけていないのだ。
カタカタとキーボードを叩きながら、持ち込んでいた持ち運びようのテレビを遊馬あすまは視界の端で見ていた。
「どうした」
手を止めずに遊馬はちらりと隣に立つ蛇草はぐさを見やった。
いつもは無駄にしゃべるくせに、さっきから妙に黙りこくっている。何を言っても上の空。しかも何か考えているように。
「…原因がわからん」
「何のだ」
いったん手を止めて、蛇草を見た。手にはテレビのリモコン。
「俺がボタン押す前に爆発しよった」
「大方、お前が何か配線ミスしたんだろう」
「それはない。俺の配線・プログラムは完璧やった。爆破もちゃんと連動しとったし」
ふぅん、と遊馬は止めていた手をまた忙しく動かし始めた。
「原因究明もいいが、時と場所を選べ。俺たちもある程度ほとぼりが冷めたら引き上げだ」
「わかっとるって」
蛇草はどかっと遊馬の隣の椅子に座った。
「念のためにきいておくが、証拠になるような物は残してないだろうな」
「誰に口きいとんねん。そんなもん、こっちのビルにもあっちのビルにもあらへんわ」
「ならいいが」
「そっちこそ。パソそんだけいじくり回しといて気づかれたり足ついたりするもん残してへんやろうな。
俺が月姫つきにしばかれんねんで」
「それこそ愚問だな」
ふん と鼻で笑って、接続していたメインコンピュータの電源を落とした。
「それに、俺が何かしなくてもお前は最終的には十七夜かのうに捕まってるだろう」
「捕まっとるっちゅうか、捕まえてもろうてるっちゅうか、微妙やな」
「たちの悪い女に捕まったもんだ。ま、せいぜい頑張るんだな」
「おぅ」
ノートパソコンの電源を落とし、背もたれに寄りかかった。
ぎしりと大きく揺れるが、元の位置に戻る。こうしてみると、なかなか座り心地のいい椅子だ。
横で椅子が軋む音がした。蛇草が立ち上がったのだ。
首を回したり、腰を前後に曲げたり、左右にひねったりするたびに、バキボキと音がする。
「ま、何はともあれ意見落着やな。司に貸し1や」
「アイツはこの程度の事を貸しにカウントしないだろ」
「気分やって、気分」
「それにしても…」
「ん?」
遊馬は眼鏡を外した。ポケットから眼鏡ふきを取り出して、レンズをふく。
十条じゅうじょう…とかいったか。変わった奴だったな」
「真咲が?あー、そうかもな。つっけんどんな方の司も知ってて、黄泉に絡まれて、
 蒼ちゃんや俺に驚きはしたものの、月姫にも双菊のばばぁにも気に入られとったし、今のところ何もなく無事やし。
 雰囲気には流されやすそうやったけど、黄泉よみに感化されたからって普通は15階から走り幅跳びせんわな」
「感化されやすいだけじゃないんだろうな。…そろそろあのひねくれ者も動いていいころだ」
「可能性はあるんやないの?月姫とか黄泉の話聞く限りじゃ、珍しく人っちゅう生き物に興味持っとるみたいやしな」
眼鏡をかけ直し、眼鏡ふきをポケットにしまった。ノートパソコンを入れてきたケースに入れて、椅子から腰を浮かせる。
「そろそろ出るぞ」
「アイアイサー」
鍵を閉め、暗い廊下に出る。廊下の大きな壁には大きな窓がいくつもある。特に、今2人がいる所など全面ガラス張りだ。
建物の中は暗くても、外は明るい。
信号、車、街灯、店の照明。思わず見とれてしまいそうなほどの夜景が広がっていた。
夜景に背を向けて歩き出す。流石に階段は暗い。蛇草が持ってきていた懐中電灯を使う。
「用意がいいな」
「こういうのはまかしといて」
「十七夜に鍛えられているだけのことはある」
「おう。褒め言葉として受け取っとくわ」
暗い階段をゆっくりと下っていく。1階までは時間がかかりそうな足取りで。


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