「侵入口って…、まさかここですか?」
「せや」
蛇草はぐさはにっと笑った。
蛇草が連れて行ったのは隣のピル。大手企業のものだろうか、千幸時ぜんこうじ銀行よりずっと大きい。
あんなに胸を張って銀行から離れるのだから、何か秘策でもあるのかと思っていたが…。正直拍子抜けだ。
そんな真咲まさきを知ってか知らずか、蛇草はさっさとビルの裏手へ回り込む。
「多少は考えとったけど、まさかあそこまでお巡りさんおるとは思わんかったわ。あれじゃ交渉の余地なしやろ?」
「交渉して入るつもりだったんですか…」
目眩がした。いくら何でもそれはないだろう。
蛇草はポケットから大量の鍵のついたリングを取り出した。その中から1つ鍵を見つけると、ビルについている鍵穴にさす。


がちゃ


見えないところで鍵がはずれた音がする。取っ手を回すと、あまり使われていないのか、キィっと音がした。
「せやけどな、よぉ考えたら隣は月ちゃんトコの建物や。それやったら融通きくし、銀行入ることだって出来るやん」
「すごいです!流石蛇ちゃん」
「おう!もっと褒めたって!」
「その確信は一体どこから来るんですか…」
所古いこまが心底関心したように褒めちぎる。中に入っていく蛇草と所古の後に続きながら、真咲の口からはまたため息が零れた。
中は薄暗い。もうすぐ日も沈むから尚更だ。奥行きもかなりあるようで、突き当たりが見えない。
蛇草は建物の奥や部屋の扉には目もくれず、近くの階段を上り始めた。
「ただ1個問題があってなぁ…。このビル裏口付近にはエレベーターもエスカレーターもないんよ」
「それは仕方ないですよ。若い者は若い者らしく元気に上ればいいんです。
 文明の利器に頼らないのもまた一興というやつです」
「所古、半分くらい言ってる意味わかんないから」
階段は少々低めで、妙に疲れる。運動不足というわけでも無いはずなのだが、5階を過ぎる頃には真咲も息が上がってきた。
所古は3階くらいから既に息が上がっている。しかし、蛇草だけは何ともないように息1つ乱していない。
「そういえば…」
息が上がり始めてから口数が極端に少なくなった所古の代わりに、真咲が口を開いた。
「2人が言う“月ちゃん”ってどんな人なんですか?」
「なんや、真咲会ったことないんか?」
「あるはす‥ですよ…。胱月院‥先輩が‥言ってました…‥から‥」
「いいよ、所古。無理してしゃべるな」
「せや。月ちゃんも言っっとったで。『司に邪魔されたー』って」
「アイツには何回か助けてもらったこともあるけど、その後大変な目に遭ったこともありますから」
妙に綺麗なお姉さんに連れ回されたこと、学校で部活見学に散々引っ張り回されたこと、傲慢なあの態度。
思い出せばほとんど悪いことばかり。本当に、何でこんな所にいるんだろう、俺。
「んー、せやったら、その助けられた中に女おらんかった?
ものっそい目つきの悪い美人で、めっちゃ背ぇ高くて、態度でかくて、いきなり買い物の荷物持ちさせようとした奴」
少し思い出してみる。ここに引っ越してきた初日のあの綺麗な女の人のことだろうか。
「背が高くて、モデルみたいにスタイルが良くて、一人称が「わたくし」の人ですか?」
「おお!ビンゴや!そいつが俺らの言う“月ちゃん”や。
 本名は十七夜 月姫かのう つきって言ってな、このビルのオーナーさんの一人娘や」
「このビルのオーナー…」
「ちなみに、真咲が会ったとき荷物持ちがいないとかほざいとったやろ」
「えっと…、そんなようなことは言ってたと思います」
「その荷物持ちな、俺や」
「は?」
「蛇‥ちゃんは…‥月ちゃんと‥仲良し‥で、月‥ちゃんが…何処か‥に‥行く時は……いつも‥一緒‥なんです‥よ‥」
所古は息も絶え絶えに補足説明をつけた。
「おい、本当に大丈夫か?おんぶしてやろうか?」
「ご‥心配…には‥及び…ませ‥ん‥‥」
「そろそろ本気でヤバそうだぞ?」
黄泉よみは…何故‥か階段‥とか…登り‥棒とか、縦に…動‥く運動‥はどう‥も苦…手な‥よう‥なんです‥‥」
そんな体質もあるのか。
「ほら見てみ。こっちや」
15階にまできて蛇草は階段から離れてフロアの方へ歩いていく。足取りは軽く、相変わらず息は全く乱れていない。
日がもう完全に落ちたのだろう、フロアはもう真っ暗だった。
足元だけが点々と照らされ、非常口の緑色のランプが煌々と灯っている。
「それ‥にして…も、誰‥も‥いません…ね‥」
所古は息を整えながら言った。
「隣に立て籠もりがおって、五月蠅いから社員全員返したんやろ」
3人はまた歩き出す。このビルの構造をしっているかのように、蛇草の歩みには迷いはない。
少し歩くと、蛇草は立ち止まった。それは突き当たりにある壁の大きな窓の前。
「ほら、ここからなら隣の銀行に行けんで」
蛇草の指は外の銀行を指した。千幸時銀行の屋上が少し下に見える。
「本当です。これなら行けそうですね」
早くも復活した黄泉がうきうきと目を輝かせた。
「でも、どうやって入るんですか?」
そう、確かにここが一番銀行に近いだろうが、ビルとビルの間は2mはある。
ニヤリと笑い、蛇草は窓の隣にある備え付けのレバーに手をかけた。
「この窓は特別でな、ちょっとしたミスがあって、ここだけ開閉できるんや」
レバーを引く。



がこん


ウィィィィィィィィ



モーターが動くような音と共に窓が大きく開いていく。
「うわぁ!」
所古が歓喜の声を上げた。しかし、真咲には嫌な予感がしてならなかった。
それはこのビルに入ってからずっと感じていた杞憂。
「あの‥、まさかとは思うんですけど…」
「そのまさかや。いやー、頭いい奴はええな。説明せんで理解してくれて」
蛇草はいけしゃあゃあとしている。思い切り風が吹き込む。真咲は頬が引きつるのを感じた。
「ここと飛ぶんですよね!?」
「せや!」
「無理ですって!」
真咲は猛抗議した。
「普通に考えたら無理ですよ!ここ結構間あるし、高さだって隣の屋上と結構違うし!下手したら死にますよ!?」
「大丈夫やって。自分運動神経ええんやろ?
 幸いここの間は2m弱。屋上とこことの差なんてせいぜい2mちょっとや。
 千幸時銀行はイメージアップの為に屋上緑化をいち早く取り入れた企業の1つでお隣さんも然り。
 着地もそんなに心配はいらん」
「むちゃくちゃですよ!理論でできても人間では出来ないことだってまだまだあるんです!」
「大丈夫ですよ先輩。先輩なら出来ます」
「お前まで…!」
「黄泉は飛びますよ?」
所古の言葉に真咲は止まった。所古の目は嘘をついているようにも、見栄を張っている様にも見えない。
「…どうしてそこまでするんだよ」
「黄泉は前にも言いましたよ?胱月院先輩はお友達だからです」
「…普通はそこまでしない」
「なら、黄泉は普通じゃなくていいです。
 黄泉はどんな時でも、どんな状況でもお友達を見捨てたりしません。
 黙って見ている"普通"に、黄泉はなりたくありません」

確固たる信念。

確固たる意志。

普段からは考えられないような強い瞳。

度は過ぎていても、常識から外れていても、所古は所古なりに友を大切に想い、力になりたいと思っている。

度胸もある。

覚悟もある。

なら、自分は?

「先輩、無理しなくていいで…」
「わかったよ。俺も行く」
真咲は所古の言葉を遮った。
かっこ悪い。何の為にここまで来たのか。後輩があんなに頑張っているのに、自分はここから見ているだけなんて。
「要は下見なきゃいいんだろ?これでも一応体育の成績はいつも10なんだよ。陸上では一番走り幅跳びが得意だったんだ」
「ええこっちゃ。ほんなら、真咲、一番に飛び」
「わかりました」
覚悟は決めた。心の中ではまだ『何やってんだろう、俺』と思っている所もある。こんな機会滅多にない。
たまには命をかけた冒険をしてみてもいいんじゃないか。
廊下を20mほど戻り、窓に向き直った。
1つ大きく息を吐いて、正面を見据える。
大丈夫。いける。
窓に向かってゆっくりを足を踏み出した。


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