出会いも、別れも、生も、死も、全部始めから決まっていたこと。
「もしも…」なんて存在しない。



























出会い


























今日は朝から雨が降っていた。
昨日の時点ですでに厚い雲が空一面を覆っていたのだから、決して予想できなかったものではなかったのだが。
朝の時点では小雨。
少しでも雨が降っていれば、外出時には傘の1本でも持っていこうというもの。
しかし、それをしないのがシリルという男なのだ。


シリル・ヴィブリッシュ。
身長177cm。短い紺色の髪をした、透き通った青い瞳が印象的な青年だ。
鼻筋がすっと通っていて、端整な顔立ちをしている。
よく笑い、明るい好青年だ。
が、中身はまるで子供。
軍に所属しているくせに、入隊早々遅刻はするわ、寮は抜け出すわ。
会議中にお菓子を食べていて減報をくらったこともある。
何度やっても懲りず、上官に完全に目をつけられていた。
普通なら即刻除隊処分だが、彼の任務成功率は100%を誇り、養成学校は首席で卒業するほどだった。
難しい任務も何度となくこなしてきた彼を手放すのは惜しいと、上層部の判断で彼は今もここにいる。
相変わらず自由で規律は乱すが。
そんな彼も軍人になって今年で3年になる。
優秀な彼はそれなりの地位も得るようになっていた。


「いやぁ、助かりましたよ」
「何が“助かりましたよ”だ、まったく…。そう思うなら傘ぐらい持ってこい馬鹿野郎」
アイロスは隣を歩くシリルの頭を軽く殴った。


アロイス・シーラルド。
シリルの3つ上の先輩であるが、入隊時から寮が同室で、シリルの性格も手伝って、先輩というより兄貴分となっている。
シリルよりほんの少し小さいが、ほとんどそんな風には見えない。
借り上げた茶髪の髪、焦茶色の瞳。
長い付き合いというのもあり、今ではシリルのよき理解者だ。


「何が悲しくて野郎と相合傘しなきゃなんないんだ」
「そうですよねー。俺もするなら女の子がよかったなぁ」
「お前…」
そんなやり取りをしながら、2人は歩いていた。
昼休みだから一緒に昼食…、というわけではない。
2人は任務に向かっているところなのだ。
「しっかし」
シリルが口を開いた。
「王城って、やっぱりでかいんですね。遠くからしか見たことなかったけど、それでもでかく見えたもんなぁ」
「まぁな」
アロイスは持っていた傘をほんの少し上げて、もうずいぶん大きく見える目的地を見た。


メデマイラ王国。水産資源に恵まれた美しい水の都だ。 王都ボッティアにある、王城フランベイラ。
敷地面積6500u。
約200年前に建てられた、全面石造りのクラシックな城だ。
王家の人々が代々住まい、限られた人間しか門をくぐることも許されない絶対領域。
その構造・間取りのほとんどが機密扱いで、警備をしている兵士や城の使用人さえもその全貌を知る者はない。


「国の政から他国の接待まで何でもあそこでやっているんだ。当然と言えば当然だな。警備も国で一番厳重だ」
「じゃあ、もう既に大勢同胞がいるんだ」
「あぁ」
「なら俺たが行っても行かなくても、たいして変わらないんじゃないですか?」
「さぁな。だが、今回は増員されたのは俺たち2人だけで、しかも適当な頭数合わせじゃなくご指名ときてる。何かあるのは確かだな」
メデマイラ王国の軍は大きく二つに分けられる。
通常の治安維持や国境警備などの任務を行う普通部と、王族を護衛したり特に危険な任務を遂行する特殊部だ。
現在2人は特殊部に所属している。
特殊部の隊員が任務につく場合、通常2人1組でペアを組んで行われる。
今彼らが2人でいるのはそういう理由がる。
特殊部隊で、30名弱という少数である特殊部は常に仕事に追われている。
万年人手不足の部隊なのだ。
増員しようにも実力がない者は長くは生きられないため、素質を持った者が現れるのを願うしかないのが悲しいところ。
現在の一番新しい隊員がシリルなのだ。




正面商店街は活気に満ちている。
店員の客寄せも、値切る客も走り回る子どもたちもとても生き生きとしている。
そんな様子を眺めながら、何も買わず、商品には目もくれない軍人2人が歩いていても誰も珍しそうな視線は寄せない。
元々ここは城下町、軍人を見かけるのは珍しくないからだ。
王城の警備の任務についている兵は養成学校を優秀な成績で卒業したり、素晴らしい武勲を得た者ばかり。
自分が休日でも気を抜かないような者が多い。
だから、
「あ、先輩!見てくださいよ!あんなにでっかい魚見たことあります?!」
「……」
こんな風に騒ぐ方が珍しいのだ。
シリルは魚屋の店先に並んだ大きな魚を指さして子供のように目を輝かせた。
アロイスは傘を持っていない方の手で額を抑えた。
こんな軍人は王譲警備どころか普通部の兵にだってほとんどいない。
せいぜい休暇中か、軍の厳しさが分かっていない新人くらいなもの。
しかし、休暇中といっても、ここまで騒ぐ大バカ者は存在しない。
新人の軍人が入隊する時期でもない。
こんなことをするのは、全軍人でもこのシリルただ1人だけなのだ。
「はしゃぐな!ったく、お前はどこのガキだ…!」
シリルに付き合っていたのでは、いつまでたっても王城などたどり着けない。
それに、こんなにみっともない軍人をいつまでも天下の公道に放置しておくわけにもいかない。
アロイスはシリルを一発殴って、引きずって歩きだした。
「い、痛いですよ!せんぱーい、勘弁してくださいって!」
情けない声を上げながら引きずられていく。
その2人の姿に、道行く人はくすくすと笑った。
当然の民衆の反応だが、アロイスは情けなくなって、もう一度シリルを殴った。














長く、緩やかな坂の上に王城フランベイラはある。
その門は巨大な石造りで、美しい彫刻で飾られているが、その威圧感は隠せるようなものではない。
数百年前に作られたもので、角は丸くなっているが、まるで壊れるような危うさはない。
城門にふさわしい風格を漂わせていた。
城門には、左右に1人づつ門番が立っていて、警備にあたっている。
当然2人が入ろうとすれば、持っていた槍で道を遮られた。
「止まれ」
命令口調で制止させられる。
「同志と見受けるが、王城に何用か」
決まり通りの文句を言う門番に、アロイスは口を開いた。
王城は軍人とはいえ、任務でもない限り立ち入ることができない絶対領域なのだ。
「特殊部所属、アロイス・シーラルド曹長、同じく特殊部所属、シリル・ヴィブリッシュ軍曹だ。本日付でフランベイラの警備任務にあたる」
アロイスの言葉を聞くと、素性を詳しく聞くわけでもなく、門番はすんなり通してくれた。
限られた人間しか王城は訪れないため、おそらく門番にも今日彼らが来ることが伝えられていたのだろう。
2人は相変わらず1つの傘に入ったまま王城へと足を踏み入れた。
まず、眼の前に人がるのは大きな噴水と美しい庭。
きちんと手入れが行き届いていて、雑草1本さえもない。
雨でぬれている花々も美しく咲き誇っていた。
「すげー…」
思わず感嘆の言葉が漏れるシリルを叱咤することはさすがにできないほど見事な絶景。
広い路のその先に、フランベイラはずっしりとたたずんでいた。
門と同じく、数百年前に作られ、代々王族が住まいとして使用してきた。
風貌のある石造りの建物は圧巻で、その巨大さも手伝って、言葉にできないような威圧感を放っている。
王城として申し分ないたたずまいだ。
その壁にも美しい、数多くの彫刻が施されている。
そのひとつひとつが繊細で、美しい。
城に近づくにつれて警備の兵士の数も増えていく。
美しい、威厳ある城には不似合いというほどでもないが、庭や噴水の周りなどは場違いに思えた。
だが、せっかくの美しい景色が台無しだとシリルは思った。
「先輩、いくらなんでもちょっと警備過剰じゃないですか?」
さすがに張りつめた雰囲気を感じたのか、シリルはアロイスの耳にこっそり言った。
確かにそうだと、アロイスも思う。
いくら王族が住んでいて、いまだ紛争や戦争がおこるといっても、王城だけピンポイントで狙うなんて不可能だ。
交戦中ならいざ知らず、今はどこの国ともいがみ合っていないし、緊張状態にもない。
しかも、王城警備は一般に普通部の管轄のはずなのに、同僚である特殊部の人間をすでに2人見かけた。
特殊部が王城で警備するのは王族のみで、周辺警備になど通常当たらない。
ならばここまで厳重に警備をする必要はないはずだ。
何か特別な理由がないかぎり。
「何かあるんだろう」
「あ、王族の方々が何かに急にビビっちゃってたり?」
茶化したシリルにアロイスは鉄拳を見舞った。
「痛ってー…!」
悲鳴を上げることもできない痛みに、シリルは頭をさすりながら恨みがましそうにアロイスを睨んだ。
理由はわからないが、この厳重警備のなか、不穏当な発言をすれば特殊部の軍人とは言えどんな処罰を受けるかわからない。
いくら小声で言ったとしても、雨が降っているといっても、誰にも聞かれないという保証はないのだ。
シリルにもそれがわからないはずはないのに。
これはシリルの悪い癖だとアロイスは思っていた。
いつまでも自分がパートナーで居られる保証はない。
いつまで彼をかばったりフォローしていられるのかわからない。
なんとか自分と離れる前に、せめて不穏当な発言や人間関係を悪化させるような真似だけは更生させなければと、アロイスはいつも思っていた。
当の本人が全くその気がないのが一番気がかりなのであるが…。
城内へはいると、中はふかふかの落ち着いた赤い絨毯が敷き詰められ、壁には絵がかけられていた。
天井には大きなシャンデリア。
高価そうな花瓶なども飾られている。
壁は落ち着いたブラウンの木材が使用され、家具などの調度品もそれに合わせている。
いかにもちょっと金持ちの家という感じは超越した、上品な雰囲気だ。
入るとすぐに声を掛けられた。
「特殊部所属、アロイス・シーラルド曹長様、シリル・ヴィブリッシュ軍曹様にございますか?」
白黒のメイド服に身を包んだ、若いメイドだった。
ふたりよりも頭一つほど小さな使用人である。
「そうだ」
アロイスが肯定すると、その使用人は一通の封筒を差し出した。
「お預かりしていたものにございます。お受け取りください」
敬語の乱発に、シリルはどうにもむず痒そうで落ち着かない表情をしていた。
アロイスが受取った。
それは軍の本部からの指示通知だった。
封を切って中を確認する。
内容を読むにつれて、アロイスの顔色がおもしろいくらいに変わっていく。
相方の様子がおかしくなったことに気がついたシリルは横から通知書を覗きこんだ。
軍の通知書は無駄な挨拶やら序文がなくて、シリルにとっては比較的倦厭しないで読める文章。
しかし、少々固いのが玉に瑕。
当たり前と言えば当たり前なのだが。
2人の名前から始まり、通知書には簡潔に就くべき任務が書かれているだけだった。


『ロゼの花嫁を警護を任ずる』


「『ロゼの花嫁』…?」
シリルは首をかしげた。
これは頼れる相棒を顔面蒼白にするほどの威力を持ったものだっただろうか?
というか、そもそも『ロゼの花嫁』って言ったら…。
硬直したまま動かない相棒と通知書を交互に見やる。
アロイスは自分の目が信じられないのか、何度も短い文面を確認していた。
「ご確認いただけましたでしょうか」
かけられた言葉に2人はそちらを見やった。
10mほど先の曲がり角から1人の女性が現れたのだ。
彼女はすっと姿勢を正し、凛としているが、使用人ではないことが雰囲気からも服装からもわかる。
純白のいかにも柔らかそうな、清楚な姿。
一見布を巻きつけただけのように思えるその服装は、この国の宗教関係者の証。
頭には白いレースをかぶり、それは臍のあたりまで垂れ下がっている。
このレースの長さは位によってかわり、これだけ長いということは、それなりに高位のものだと示していた。
「アロイス・シーラルド曹長様、シリル・ヴィブリッシュ軍曹様」
澄み切った冷たい水面のような声。
「お待ち申しあげておりました」
決して少女のものではない。
「どうぞこちらへ。花嫁様の元へご案内いたします」
軽く膝を曲げて頭を垂れ、優雅に先を指した。
彼女に続いて2人は歩みを進めた。
『ロゼの花嫁』の元へ。













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